フルタチさん 歴史的瞬間のウラ側 私はそこにいた!SP
芳村真理が立ち会った、山口百恵の最後の「夜のヒットスタジオ」についてトーク。ステージにマイクを置いたあの日本武道館の引退コンサートの翌日の生出演で、スタジオ中が異様な感じだったという。
1980年10月6日の「夜のヒットスタジオ」本番直前から実際の映像を紹介。スタジオは神聖な空気に包まれる中、夜10時に本番が始まり、百恵は早速「横須賀ストーリー」を披露した。当時を振り返り芳村は、引退コンサートの次の日に歌手仲間やスタッフに対して「さよなら」を言ってくれてると思ったと明かした。多くの歌手、そして百恵本人が涙した理由とは…。
この日は最初から出演が予定されていた岩崎宏美らに加えて、沢田研二らも途中から集まり、当時でもふだんは集めきれないメンバーがそろい、誰一人自分の歌を歌わず、百恵の曲をみんなで歌うという当時はありえないことが起きたという。さらに芳村によるとCM中は珍しく怒号が飛び交うことなく、スタッフも百恵のために雰囲気を作っていたという。
百恵と芳村が初めて出会ったのも「ヒットスタジオ」。百恵の第一印象は無口で大人しいだったという。百恵が「としごろ」で歌手デビューしたころは1年目の新人歌手が出演することはなかったという。芳村は両親のような気持ちでいるが百恵からは「この子は大丈夫」というものを感じていたという。その後も名曲を生み出した百恵は19歳で「紅白歌合戦」トリを務めた。しかし三浦友和との結婚を機に21歳の若さで引退を発表。最後の曲が「さよならの向う側」、これが「ヒットスタジオ」で最後に歌った曲にもなった。
1980年10月6日「夜のヒットスタジオ」は粛々と番組が進行。芳村は百恵最後の歌声を振り返り、あまり感情を出す人ではなかったが最後の歌の最後は顔を埋めていた、あの歌声は私にとっても忘れることができないと話した。このあと、山口百恵最後の歌声…。