老舗呉服店 店主のお宝とは?

2024年1月16日放送 21:00 - 21:10 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団 (開運!なんでも鑑定団)

広島・広島市、かずもとや呉服店。社長の加藤和行さん(78)。かずもとや呉服店は江戸時代からのれんを受け継ぐ老舗。6人きょうだいの末っ子だった加藤さんは家業を継ぐつもりはなかったが大学2年の時にヨーロッパを旅して古い建築や美術館を見てまわるうちに日本の文化も素晴らしいものだということに気づき着物を守るために店を継ぐことを決意。今では着物が好きで厳選した商品を仕入れる。佐賀錦の帯は24金の純金箔を使った糸で織られている。この帯の値段は980万円。40年程前、謡曲の師匠にすすめられ手に入れた骨董品。師匠に「近所の骨董屋に素晴しい茶碗が入ったから見てきたら?」と言われた。そこで店を訪ね、その茶碗を見たが、どこがいいのかさっぱり分からなかった。しかし師匠が言うんだから間違いないと思い70万円で購入。度々その店に通うようになった。目が肥え、最初の頃には分からなかった良さが分かるようになり、とんでもない名品ではないかと思うようになった。鑑定を依頼するのは「御本立鶴茶碗」。三代家光公が自分で絵を描いたという。内箱が有栖川宮織仁親王、外箱が松平不昧公が箱書き。九条家伝来の品だという。本物とは見比べたことはないという。室町時代に武家社会を中心に広まった茶の湯。茶会といえば公家や大名が自慢の茶器を披露する美術品観賞の場。天目など豪華な茶碗が珍重された。千利休がわび茶を大成すると一変。新たに注目されたのは素朴な高麗茶碗。15世紀後半から16世紀前半にかけて朝鮮半島で焼かれた日用雑器だったが作為のない枯淡な趣が茶人に愛用された。井戸や三島など多彩な器が日本にもたらされたが、大名や茶人たちは既存のものに飽き足らず、自分好みの茶碗を朝鮮の窯に注文するようになった。その1つが御本。御本とはお手本のことで日本から形や図柄、釉薬などを詳しく記した文書を送り見本として作られた茶碗。製作したのは宗義成。1939年釜山の倭館に開いた窯で作陶を開始。絵御本は高麗茶碗にはなかった松竹梅や山水がほどこされ、風雅な趣は京焼の影響が感じられる。玄悦は津島から招聘した船橋玄悦のもとで作られた茶碗。大胆に削りとられたヘラあとや渦に彫り込まれたこうだいを特徴とする。御本を代表するのが立鶴。下絵を描いたのは徳川家光。小堀遠州が見本を作成したと伝わる。松平治郷が愛用、道具の目録にはその価値300両と記される。1718年朝鮮王朝から提供される陶土の減少により窯が閉鎖。江戸時代後期には新御本と呼ばれる茶碗が登場したがこれも短期間に姿を消した。依頼品は本物と比べつくりが異なるようだ。悪質な偽物か大名品か。


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