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各地で戦争が起きている中であるアニメが話題になっているという。それは「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」だという。この作品の始まりは22年前で、当時も戦争とテロがあり、そうした世界情勢の中で戦争アニメである「ガンダム」を作ることに制作陣は葛藤があったと語っている。
ガンダムのは世界でも広がっており、「機動戦士ガンダム」の放送は1979年に開始された。勧善懲悪ではない戦争を舞台にしたアニメで、熱狂的なブームになった。その後、ガンダムシリーズの様々なアニメが作られていく。そうした中で「機動戦士ガンダムSEED」も作られていった。そこで「機動戦士ガンダムSEED」に携わった監督やプロデューサーらに作品に携わった経緯などについて話を聞いた。また当時普通の主婦だった両澤千晶が脚本を担当した経緯についても語られた。
「機動戦士ガンダムSEED」ではリアルな戦争描写が特徴で、きっかけになったのは放送の前年に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」で、そこから戦争のリアルな悲惨さを描くことにしたという。当時のチーフメカ作画監督は「戦争をより悲惨に見えるように手抜きなしにやっていた」と語った。またアニメでは戦争の根幹にある差別意識なども描かれており、当時ニュースになったデザイナーベビーについても盛り込まれているという。
両澤千晶の弟の和幸はドラマやアニメの脚本家や監督をやっている。SEEDの設定には両澤千晶の生い立ちも関係しているという。子供の頃は転校が多く、なかなか友達が出来ないという過去があったという。両澤千晶が子どもたちに伝えようとしたのは、誰の心にも潜む差別意識や憎しみが暴力につながり大きな争いに発展する恐ろしさだったという。「機動戦士ガンダムSEED」の最終回は戦争の行方と人類の未来を明確に語らないまま物語は終わるという。
「機動戦士ガンダムSEED」の放送後は「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」が放送されて、さらに映画化の話にもなった。ただ映画化はなかなか進まず、両澤千晶は病気を患っていたこともあり、なかなか前に進まなかったという。そして両澤千晶は2016年に56歳で逝去した。その後は志田香織が劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のプロデューサーになり映画製作をしたという。そして2024年1月に『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が公開を迎えた。最後に福田己津央は「世の中が強制しすぎ。物事は一方的な見方ほど怖いことはない。みんな同じ価値観で生きてない」と思いを語った。