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- さだまさし
シンガーソングライター・さだまさし(70)は、これまで4500以上の舞台に立ってきた。同世代のアーティストが一線を退く中で、そのステージはむしろ輝きを増していっている。70歳を超えてなお走り続ける男の舞台裏を取材した。
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取材を開始した2022年8月、さだまさしは全国ツアーの只中にあった。7ヶ月で41公演を行う。リハーサルでの音合わせはわずか10分。さだまさしは人生の6分の1に当たる12年余りをコンサート会場で過ごしてきた。さだまさしはスタッフに弁当を差し入れることが多い。50人を超える舞台スタッフは皆、長年の仲間。音合わせの後は控室には戻らず、本番直前までほとんどの時間を皆とともに過ごす。「体温交換してないと、いざというときに一つになりにくい」という。さだまさしはコンサートで披露する曲の内、約半数を新曲にする。毎年新たな曲を10曲以上制作し、70歳の今なお、年に1枚アルバムを発表する。これまで制作した曲は617を数え、その中には時代を代表するような名曲が数多くある。
さだまさしの紹介。さだまさしは日頃から曲のテーマになりそうなキーワードをランダムに集めているという。さだまさしの流儀が自分の中に釣り糸を垂れるであった。さだまさしは「経験したり考えたりしたことが体の中にたまってるとすればねその井戸の中に釣り糸を垂れるわけですよ何が釣れるかなって」などと話した。作曲家・渡辺俊幸は47年さだまさしの音楽の編曲を担ってきた。渡辺俊幸は「自然に心にしみいってくることと結びついているこういった音楽はさださんしかないねっていうところで魅力がある」などと話した。
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- 精霊流し
さだまさしはコンサートに臨んでいた。コロナ発生から半年後さだはいち早くコンサートを再開した。今回のツアーに加えた1つの曲がキーウから遠く離れて。さだまさしはネットで目にした映像から曲を作ったという。さだまさしは「社会が間違ってると思ったら間違ってると言わないといけない」などと話した。さだの歌作りを支えるものはラジオの仕事。さだは「生放送をやるとすごいデータ量ですから」などと話した。
去年8月さだまさしは音楽祭で歌うためふるさと長崎へ帰ってきた。さだまさしは物心ついたときにはバイオリンを手にしていた。音楽の名門校に通うため13歳で上京し練習に明け暮れた。しかし入学試験は不合格であった。大学に進学したものの代わる夢も見つからずアルバイトに明け暮れた末に中退し長崎へ帰った。そんなときに再会したのが吉田政美さん。デュオを組み精霊流しが大ヒットした。無我夢中で活動を続けたがさだまさしが過労で倒れたことをきっかけに解散となった。再び長崎へ帰った。さだまさしは再出発をし27のときに関白宣言がミリオンセラーを記録した。しかしタイトルや一部の歌詞に反応した団体などから強烈なバッシングを受けた。日露戦争の映画の主題歌を担当すると戦争を美化していると罵られた。35歳の夏再び長崎へ戻った。さだまさしは「なぜ歌ってるのかっていうのがちゃんと自分のなかで覚悟が決まってなかったのかもしれないな」などと振り返った。さだまさしは最後にコンサートを開くことにした。無料にこだわり費用の3000万円は借金をした。それでもさだまさしは続けた。
去年9月さだのもとに吉田政美が訪れていた。今年は結成から50年となる節目の年で根強いファンの声にこたえ1日だけのコンサートを開くという。さだはかつての曲に加え2曲新たに作ると伝えた。しかし10日を過ぎてもテーマすら決まらなかった。2曲のうち1曲は過去の自分に向けたメッセージにしようと考えた。10日後さだは1つ目の新曲をほとんど仕上げていた。1曲目は過去の自分へのメッセージではなく今という時代の生きにくさを歌にした。本番7日前新曲が入るか未定であった。
本番前日さだは曲作りを続け2曲目をほぼ完成させるところまでこぎつけていた。本番でさだまさしは新曲を披露した。自分の意思で歩んだ人生を自分らしく歩めばいいそれは過去の自分へのそして今を生きる人達へのメッセージだった。
さだまさしはプロフェッショナルについて「限界って毎日あげていかないとねそれ諦めたらダメだねプロとしてはと自分に言い聞かせてます」などと話した。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」の次回予告。
「今夜も生でさだまさし」の番組宣伝。
ドラマ10 大奥の番組宣伝。
「つなぐ よりそう そのさきへ」の映像。