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2017年4月20日放送 19:57 - 20:54 フジテレビ

奇跡体験!アンビリバボー

出演者
日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 剛力彩芽 ビートたけし 武井咲 小島瑠璃子 
(オープニング)
オープニング

今年も全国各地で花を咲かせた桜。桜は日本人の心を掴んで離さない。しかしそれ以外にも、桜には日本人の精神が宿っていた。

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桜に宿る日本人の心SP
桜の開花願う心…抑えきれない衝動

33年前の福岡市・桧原地区。福岡市内の銀行に勤めていた土居善胤さんは、多忙極める日々の中で通勤途中にある9本の桜の木が心の励みになっていた。その年も、土居さんは満開の桜を楽しみにしながら通勤していた。しかしある日、1本の桜が伐採されていたことが分かった。1972年に政令指定都市となった福岡市は、年々人口も増加していたため、当時の進藤一馬福岡市長は交通網の整備として道路の拡張工事を開始。桧原もその対象となっており、拡張工事のために桜の木が伐採されていた。9本の桜の木は「桧原桜」と呼ばれ、地元民からも深く愛されていた。

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翌日、土居さんは家族に内緒で家を出た。向かった先は桜並木。そして誰にも気づかれぬよう、桜の幹に「花守り 進藤市長殿 花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給え」という、桜の木を憐れむ歌を陳情として結びつけた。そして、当時九州電力の社長に就任したばかりの川合辰雄氏が偶然この歌を目にしたことで、川合氏は土居さんの思いを受け取った。その日の夜、川合氏は朝見た歌のことを九州電力の広報担当をしていた大島淳司氏に話す。大島氏も実際に歌を見てから、また別の人物へと歌のことを話した。

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単価に託した想い…桜守るリレー

通勤途中の桜並木を伐採から守ろうと、桜を憐れむ歌を桜の幹に結びつけた土居善胤さん。歌を結びつけた数日後、西日本新聞の社会面に歌についての記事が掲載された。記事を掲載したのは、旧知の中だった大島淳司氏から電話を受けた松永年生さんだった。すると、この記事が当時の進藤一馬福岡市長の目に止まった。しかし、歌を風流だと思う一方、私情だけで公共事業を辞めるわけにはいかなかったため、進藤福岡市長は複雑な思いを抱えていた。

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明日のフジテレビ
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桜に宿る日本人の心SP
単価に託した想い…桜守るリレー

桧原の桜を確認しに行った進藤福岡市長。桜の幹には、新聞記事を見た人たちの色紙や短冊が寄せられていた。これを見た進藤福岡市長は、市役所で道路計画課長を務めていた石井聖治さんに、桜の植え替えを提案。桜は残されることになった。桜がある側に大きく道路を広げる予定を、池の一部を埋めて広げる方針に変更。さらに池側にあった桜も、切ることなく全て移された。桜の傍らには、土居さんの歌が刻まれた石碑が建てられている。その横には、進藤福岡市長の歌も刻まれていた。土居さんの歌を目にした進藤福岡市長は、返歌を送っていた。

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スタジオトーク

短歌のリレーで守られた桜について、武井咲は、「桜など四季を大事にするのは日本人らしいと思った。歌で気持ちを伝えるのは真似したくなる」などと話した。

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歴史に埋もれた日本人の誇りとは?

ウズベキスタン・タシケントは、満開の桜で彩られていた。今から72年前の8月15日、第2次世界大戦で日本は無条件降伏。永田行夫大尉は、200名あまりの部下とともにソ連軍の捕虜となった。シベリア抑留により、永田の部隊はウズベキスタン共和国に送られる。ソ連共産党の威信を示すため、オペラハウスのナボイ劇場の建設を命令された。唯一の楽しみだった食事も粗末なもので、ノルマが達成できないと食事の量も減らされた。永田は、食事の量の多いものが少ない者に分け与え、全員の量を平等にすることを提案。和の心を訴え、収容所を一つにまとめようとした。

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全員で生きて帰国することを目標にしていた永田。そんな頃、ソ連は劇場の建設を急がせるために二百数十名の新たな捕虜を送り込んだ。その中に、当時21歳の若松律衛少尉がいた。指導部は、大学の建築学科出身の若松を現場の総監督に指名。永田は、世界最高の劇場を建てることで日本人の誇りを取り戻そうと考えていた。若松が総監督になったことで、作業のスピードが格段にあがった。

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過酷な強制労働…忘れかけた誇り

ソ連に劇場の建設を命じられた永田と若松。劇場は完成に近づいていたが、粗末な食事を分け合いなんとか堪えていた日本人捕虜たちの疲労は、ピークに達していた。捕虜に決められた食事以外を与えれば、ウズベキスタン人も罰せられる危険があったが、そんな中でウズベキスタン人から食事を分け与えられることもあった。「世界一の劇場を作りたい」という思いで必死に働くうちに、ウズベキスタン人との心の垣根は消えていった。

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ソ連永田行夫若松律衛
国境越えた精神…誇りかけ劇場建設

劇場の完成も間近に迫ったある日、高所作業中に落下した1人が死亡した。その翌朝、死を悼み花を手向けるウズベキスタン人の姿があった。その2ヶ月後、ナヴォイ劇場は完成した。美しい装飾に彩られた劇場は、世界最高のオペラハウスと呼ぶにふさわしいものだった。ソ連全土で60万人の日本人抑留者のうち、9万人が死亡したといわれる中で、タシケントの死亡者は列車事故にあった1名と転落事故にあった1名だけだった。その後、永田以下455名は全員が日本に帰国した。しかし、後に作られた劇場建設の記録映画には、日本人捕虜の姿が一切描かれていなかった。

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日本兵の帰国から7年後、ソ連は日本人捕虜の墓地を各共和国に2つまでと制限。多くの犠牲が出た事実を隠蔽しようとした。しかしウズベキスタンの人々は、その命令を断固拒否。国内に点在する17か所の日本人墓地を守り続けた。永田班にならい、他の日本人捕虜たちもインフラ整備に貢献。その功績を、ウズベキスタンの人々は決して忘れなかった。さらに15年前、タシケントの市民の要望により、日本から持ち込まれた約1000本の桜が日本人墓地などに植樹された。ナボイ劇場のプレートには、日本人捕虜が建設に貢献したことが日本語でも書かれている。

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スタジオトーク

ウズベキスタンの桜についてスタジオトーク。小島瑠璃子は、「自分の気持ちと誇りと真面目さで、一つのことをやり遂げるのは日本人らしいと思った」などとコメント。武井咲は、「並々ならぬ信念は日本人独特の心の持ち方だと思った」などと話した。完成から19年後の1966年、タシケントを襲った地震で建物の多くが倒壊した中でも、ナボイ劇場は倒壊しなかった。

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桜に宿る日本人の心SP
永田隊長が起こしたさらなる奇跡

永田隊長が日本に帰国後、すぐに457名分の住所録を作成した。帰国時にメモを持っているとスパイと見なされるため、全員の名前と住所を暗記し、帰国後に書き出したものだという。住所録により、年に一度かつての戦友たちと集まることができた。帰国から40年後には、ナボイ劇場でオペラを鑑賞。事故で死亡した仲間の墓参りも果たした。

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(エンディング)
次回予告

「奇跡体験!アンビリバボー」の次回予告。

エンディング

エンディング映像。

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