2023年6月12日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

映像の世紀バタフライエフェクト
ビートルズの革命 『のっぽのサリー』の奇跡

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(オープニング)
今回は…

2021年10月、NASAによって打ち上げられた小惑星探査機「ルーシー」。数千年にわたり宇宙を彷徨うこのルーシーには、未来の人類に向けたメッセージが刻み込まれている。世界の偉人の言葉が記されたそこには、ある4人組からのメッセージもあった。1960年代、イギリスの港町から彗星のように現れたロックスター、ビートルズである。全世界で10億枚のレコードを売り上げ、わずか8年間の活動期間にあまりにも多くの伝説を残した4人。その奔放な言動は音楽界だけでなく、階級社会や人種差別といった旧来の価値観そのものを覆していく。今回は、世界を変えた4人の冒険とその始まりの物語。

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オープニング

オープニング映像。

(映像の世紀 バタフライエフェクト)
ビートルズの革命 「のっぽのサリー」が起こした奇跡

ビートルズの物語は第二次世界大戦の最中にあったイギリスの港町・リバプールから始まる。ナチスドイツによる激しい空襲を受けたこの街で、1940年に1人の男の子が生まれた。彼の名は「ジョン・ウィンストン・レノン」。船乗りの父を持つ、典型的な労働者階級の子供だった。両親の離婚により叔母の家に引き取られたジョンは、愛情に飢えた子供時代を過ごす。一方、ジョンの誕生から2年後に同じ街でポール・マッカートニーという子供が生まれる。ジョンと同じ労働者階級の生まれであったポールもまた、14歳で母を失い貧困の中で幼少期を過ごした。それぞれ別の家庭に生まれたポールとジョンだが、揃って熱中していたのがロックンロールだった。中でも2人を魅了したのが黒人ミュージシャンのリトル・リチャードが発表した「Long Tall Sally」。この曲に衝撃を受けたジョンとポールは、音楽を自らの進むべき道として決める。

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1957年7月6日、友人たちと「クオリー・メン」というバンドを結成していたジョンは、リバプールの教会で行われたイベントでポールと運命の出会いを果たす。2人は大好きな音楽の話で盛り上がり、ポールはそばにあったピアノを即興で弾きながら「Long Tall Sally」を歌った。その完成度に驚嘆したジョンはポールをバンドメンバーに誘う。翌年にはポールの友人であるジョージ・ハリスンもバンドに加わり、後にビートルズとなる4人のうち3人が揃った。同じ時期、イギリスでは兵役が廃止され3人はギリギリで徴兵を逃れることに成功。自由を手にした3人は1960年にハンブルクへと向かい、各地に点在するライブハウスで武者修行の日々を送る。

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そんな彼らに目をつけたのが、リバプールでレコードショップを営む中流階級の実業家、ブライアン・エプスタインだった。ビートルズのレコードを求める客が自らの店に度々訪れていることを知ったエプスタインはライブハウスに足を運び、彼らの演奏を耳にする。その演奏に心を打たれたエプスタインは自らビートルズのマネージャーに名乗り出た。1962年にはハンブルクで知り合った腕利きのドラマー、リンゴ・スターが加入し「ビートルズ」が完成する。エプスタインはメンバーたちに上等なスーツを着せ、港町の不良から洗練された都会の若者へとバンドのイメージを一新させる。さらに、一曲ごとにお辞儀をするよう提案し、幅広い層から支持を得られるように注力した。この戦略は大いに当たり、デビュー翌年の1963年には1stアルバム「Please Please Me」が全英1位を獲得。ビートルズは一気にスターとなっていく。

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彗星のごとく現れたビートルズの衝撃は、若者たちを熱狂させた。彼らが最初に着目したのがメンバーたちのファッションで、ポールが自らスケッチした細身の襟無しスーツや長髪のヘアスタイルを真似する若者たちがヨーロッパ中に急増。その中には若き日のデビッド・ボウイや坂本龍一もいた。もちろん、ファッションだけでなくメンバーが自ら作詞作曲した音楽もまた若者たちを熱狂させるには十分なものだった。大好きな黒人音楽をベースに、自分たちの言葉でリアリティ豊かな愛の歌を歌うビートルズは若者たちにとっての代弁者だったのである。そんなビートルズの後を追うように、若者たちの中からは様々なロックバンドが生まれていった。

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ビートルズの音楽から発せられた熱は、やがて社会のあり方すら変えていくようになる。上流・中流・労働者階級からなる厳然たる階級社会が根付いていたイギリス社会で、労働者階級出身のメンバーからなるビートルズは音楽とユーモアの力で階級の壁を飛び越えていく。英王室主催のチャリティーイベントに招待されたジョン・レノンは上流階級を当て擦るMCを披露し、このパフォーマンスに労働者階級の若者たちは喝采を送った。こうしたビートルズの音楽とユーモアに勇気づけられたベビーブーム世代が社会へと出ていくにつれ、イギリスに残っていた禁欲的な空気は一変していく。ロンドンは音楽のみならずファッションやアートといった世界の若者文化の震源地となり、「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれる現象が巻き起こる。この潮流の中で活躍したのがファッションデザイナーのマリー・クワント。彼女がデザインしたミニスカートはあらゆる階級の若い女性が熱狂するファッションとなる。このブームの火付け役となったモデル、ツイッギーもまた労働者階級の出身で、ビートルズは彼女のような若者たちから階級の壁を壊した偉大な先駆者として尊敬を集めていく。

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1964年、ビートルズは3000人の若者たちに出迎えられてアメリカへと上陸を果たす。アメリカではその特徴的なヘアスタイルを批判する人も多かったものの、出演した番組の視聴率が45%を記録するなど全米が彼らに釘付けとなっていのは間違いなかった。4人は黒人ミュージシャンのリトル・リチャードやファッツ・ドミノとも共演し、公民権運動により人種間の対立がピークに達していたアメリカ社会に一石を投じる。彼らにとって黒人は差別の対象ではなく、自分たちを音楽の道へと導いてくれた尊敬すべき対象に他ならず、事あるごとに彼らへの尊敬を口にし続けていた。ビートルズは同年、特に黒人差別の激しいフロリダ州ジャクソンビルでコンサートを行うことになるが、「人種隔離を行うのなら演奏しない」と宣言。ジャクソンビルの地元紙はビートルズを激しく攻撃するが4人は譲らず、コンサートは黒人を隔離せずに行われることが決定。2万人が集まったコンサートの座席には白人と黒人が入り混じるものとなり、黒人ミュージシャンのカバー曲も披露したコンサートは大盛況となる。ビートルズの輝きの前では、人種や階級といったものは古ぼけたガラクタに過ぎなかったのだ。9歳で彼らのコンサートを目にした黒人の少女は、その輝きをこう表現している。「彼らは”ビートルズ”、色なんて関係ない。私も私自身なのよ。好きな格好をして、好きなように生きればいい。私は彼らからそういう考えを学んだの」。この黒人の少女は、後にウーピー・ゴールドバーグという名前で世界的な女優として知られることになる。

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アメリカから凱旋帰国したビートルズはその功績を讃えられ、1965年には大英帝国勲章を叙勲される。この叙勲には軍人たちから反発が相次いたが、4人は意に介さず「彼らは人を殺して勲章を手に入れたけど、僕らは殺さずに手に入れたよ」と持ち前のユーモアでやり返した。しかし、世界のトップスターとなったビートルズの影響力はもはや無視できないものとなっており、その一挙手一投足は常に世間の注目を集めるものとなる。激化するベトナム戦争についてなど、度々政治的なコメントを求められたビートルズはストレスを抱えるようになり、1966年の日本公演でそのストレスは頂点に達する。日本武道館での公演に反発する右翼団体からテロ予告が発せられたこともあり、4人は安全のためにステージ外に出ることすら禁じられる。続くフィリピン公演でも大統領夫人のパーティーを欠席したことが原因で、4人は暴徒化した群衆に囲まれるなど危険に見舞われた。さらに、翌月の北米ツアーでもジョンの発言がもとでキリスト教右派から殺害予告を受けてしまう。こうした一連の出来事は4人から演奏する意欲を奪うには十分過ぎるもので、ビートルズは1966年8月29日のサンフランシスコ公演を最後のコンサートとすることを決める。コンサート最終日、熱狂に包まれたステージで最後に彼らが演奏したのは、9年前にジョンとポールを結びつけたリトル・リチャードの「Long Tall Sally」だった。

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後に「赤の時代」と呼ばれることになるビートルズの活動初期について、ポール・マッカートニーはこう振り返っている。「もし1957年にジョンに会えなかったら、バンドに加入するきっかけになった曲のコードを僕が知らなかったら、僕は小さなパブ・バンドで演奏していたかもしれない。ジョン、ジョージ、リンゴだってそうだったかもしれない。そして突然、僕らは選ばれし者となり、あらゆる自由への導火線に火をつけた。僕は、その導火線に火をつけた張本人は60年代という時代そのものであり、僕らはその一部に過ぎなかったと思っている。でも、多くの人々にとってはビートルズこそが全てだったんだ」。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

映像の世紀 バタフライエフェクトの次回予告。

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