2024年5月1日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
選 南北朝の若君たち 北条時行と北畠顕家

出演者
渡邊佐和子 佐藤二朗 本郷和人 
(オープニング)
今回は...

今回は南北朝時代を生きた北条時行、北畠顕家にスポットを当てる。

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北条時行北畠顕家
オープニング

オープニング映像。

(歴史探偵)
スタジオトーク

当番組で南北朝時代を取り上げるのは今回が初めて。有名な偉人として後醍醐天皇や足利尊氏、楠木正成らが挙げられる。今回、スポットを当てるのは北条時行、北畠顕家で、前者は10歳、後者は16歳で活躍していたという。北条時行は大河ドラマで小栗旬が演じた北条義時の子孫にあたる。

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南北朝の若君たち 北条時行

漫画家の松井優征氏は北条時行を主人公にした「逃げ上手の若君」を連載している。鎌倉幕府を率いる北条家として生まれた時行だったが、幼くして故郷を滅ぼされ、北条一門も滅亡した。復讐のために放浪し、乱を引き起こした末、鎌倉の奪還に成功する。鎌倉を逃れた後、時行は北条氏が厚く信仰していた諏訪に匿われ、力を蓄えていたという。諏訪社を中心にまとまった武士は諏訪神党と呼ばれ、御射山祭では武芸や狩りを奉納した。1335年、時行は10歳にして挙兵し、鎌倉の奪還に成功した。

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本郷和人氏は「諏訪の神様は武の神様で、そんな神様のもとに一致団結した諏訪神党は強い」と語った。また、後醍醐天皇は武士を軽視し、不満を持たれていたという。時行らは鎌倉の奪還に成功するも、足利尊氏と相まみえることになる。

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北条時行らが鎌倉を奪還してから9日後、猛烈な暴風雨に見舞われた。時行ら軍勢は鎌倉大仏が鎮座していた大仏殿に身を寄せるも、大仏殿は倒壊。500人余りの兵士も圧死したという。さらに足利尊氏らの強襲により、鎌倉は奪い返された。時行は行方知らずとなった。

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本郷和人氏は足利尊氏を「持ってる人」と評する。戦が強いわけではないのに何故か勝利してしまうといい、合戦の最中にも笑みを浮かべていたとされる。続いて、スポットを当てるのは後醍醐天皇に仕えた北畠顕家で、南北朝時代において最強の武将とも呼ばれた。

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鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を始めた。各地に皇子たちを送り、地方支配の強化を目指した。公家の生まれだった北畠顕家は東北に派遣されたが、19歳の時、後醍醐天皇から「足利尊氏を討ち滅ぼせ」という命令がくだされた。東北から京都まで約800kmの道程を22日で踏破したといい、戦国時代に豊臣秀吉が行った中国大返し(10日で約230kmを踏破)を遥かに上回る速さだったという。本郷和人氏によると、東北には良馬が多かったといい、この「南部馬」は平安時代から戦で活躍した。体格が良く、走力、持久力に優れていたとあって、北畠顕家は馬産を重視していた。「太平記」によると、北畠顕家は19歳の若さで足利尊氏を撃破した。

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大河ドラマ「太平記」で後藤久美子は17歳の時に北畠顕家を演じた。佐藤二朗は北畠顕家が南部馬を活用したからといって、全ての兵士が騎乗したわけではないはずと尋ねると、本郷氏は「この時代は遅れたやつは置いていく、置き去りです」と説明した。一方、進軍先で北畠軍に加入しようとする兵士もいたという。なお、物資は略奪で確保し、太平記には「顕家の軍勢が通ったあとは家はおろか、草木の一本も残らなかった」と記されている。

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南北朝の若君たち

足利尊氏の挙兵をきっかけに東北では後醍醐天皇の政治に不満を抱く武士たちが決起した。北畠は連戦の末、足利尊氏に勝利を収め、東北へ戻った。尊氏は九州に落ち延びるも再起を図り、北畠顕家は再び京へ向かうことになったが、鎌倉に着到するだけでも130日を要した。後醍醐天皇の治世では恩賞がちぐはぐで、足利を支持する武士たちが多く、北畠軍に立ちはだかった。さらに足利軍は立てこもった城に鉄壁の守りを敷いていた。そんな時、行方知らずだったはずの北条時行が鎌倉に駆けつけた。激戦の末、鎌倉の攻略に成功するも、京都に接近するにつれて抵抗は激しさを増した。大阪・堺にたどり着いた北畠顕家は天皇に政策を上奏する書状をしたためたあと、21歳で戦死。北条時行は鎌倉を奪還するも、28歳の時に戦死した。松井優征氏は「折れない心と強い意志をもって戦い続けた武将が浮かび上がってくる」と述べた。

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南北朝が一つの朝廷へ戻るのは室町幕府3代将軍・足利義満のときだった。また、北畠顕家は「九州と関東、山陽と北陸に統治の拠点を置くべし」と天皇に提言していたが、その考えを取り入れたのが足利尊氏だった。佐藤二朗は「人がドラマチックだと、その人が生きた時代も魅力的に見えてくる」などと語った。

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(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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