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2017年3月31日放送 16:05 - 16:50 NHK総合

歴史秘話ヒストリア
遊園地を百倍楽しめる はじめて物語

出演者
井上あさひ 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。きょうのテーマは「遊園地」、その知られざる歴史を紹介する。

遊園地を百倍楽しめる はじめて物語
江戸時代と同じ仕掛け!?お化け屋敷のヒミツ

遊園地にあるアトラクションの中で最も古いとされる「お化け屋敷」のヒミツを探る。お化け屋敷は江戸時代からあると言われていて、胴試真絵を見てみると当時のお化け屋敷の入り口には蛇の暖簾がかかり、中に入ると井戸から幽霊が飛び出ていて、五味弘文さんは江戸時代と現在とで全く同じ仕掛けが施されていると話す。

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お化け屋敷文京区(東京)東京ドームシティアトラクションズ
episode1 お化け屋敷ができるまで

お化け屋敷のルーツは江戸時代後期まで遡る。夏になると芝居小屋が蒸し風呂のように暑くなり、客が入ってこなくなっていた歌舞伎の現状を見た鶴屋南北が怪談という解決策を提案し、こうして誕生したのが東海道四谷怪談だった。そしてその後、人形師の泉目吉がとある身投げ事件を利用することを思いつき、この事件をテーマにした見世物小屋を始めたところ恐ろしさが評判になり、お化け屋敷が誕生した。泉目吉と同じ技法で人形を作っている中田市男さんを訪ねるとどの人形もリアルで美しい顔立ちをしていて、悲しみや憂いといった感情が表れる目にこだわっていた。

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お化け屋敷倉敷(岡山)東海道四谷怪談泉目吉鶴屋南北
episode2 子どもの夢の国へ

浅草花やしきを取材。江戸時代に始まった花やしきは日本最古の遊園地。江戸時代の花やしきには珍しい動物や、人の何杯もある人形が展示されている。周辺にはお化け屋敷もあり多くの人で賑わう大人の行楽地。明治になると遊園地はより一層大人のプレイスポットに。その象徴が美人探検館。中では様々な美女が待ち受けていたという。大正15年には遊園地取締規則が始まり、客足が遠のき廃れていった。

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浅草花やしき浅草(東京)美人探検館

遊園地取締規則で廃れた遊園地を子供向けに再興した男を紹介。男の名は遠藤嘉一。彼は後に遊園地の父とも呼ばれた男で、香水やお菓子、おみくじの自動販売機を開発した職人だった。目指したのは児童の好奇心を刺激する理想的な娯楽機。昭和3年、遠藤は海外の遊園地で人気だった子供向け電動遊具に着目し、日本での独自開発に乗り出した。その初号機が電動木馬で、硬貨を入れると一定時間動く馬型の遊具だった。昭和5年、遠藤の元に百貨店松屋浅草から「新たにオープンする遊園地の屋上に遊園地を作って欲しい」という依頼が舞い込む。遠藤はこれに向け、電動自動車や豆汽車などの電動遊具を開発。明くる昭和6年、百貨店の屋上に遊園地が開園、遠藤の遊具は子供たちに大人気。その後も小型のメリーゴーランドなど、安く作れて楽しめる遊具を次々に生み出し、日本各地に子供向け・家族向けの新しい遊園地が広がっていった。

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大阪府立大学松屋浅草浅草(東京)遠藤嘉一

戦中の遊園地を紹介。昭和12年、日中戦争が始まると遊園地に求められる役割が変わった。奈良にあった遊園地には巨大な軍艦の模型が展示され、魚雷が発射される仕組みまであった。中には野菜の栽培・鮮魚の養殖に乗り出す遊園地もあり、こうした遊園地は国策の一端を担うようになっていった。戦争の長期化に伴い遠藤の屋上遊園地も軍需品製造のために遊具供出を余儀なくされ、閉園した。この流れの中、大田区にあった遊園地・多摩川園の運営を任されていた山田貞一は多摩川園を守った。燃料が軍に回され豆汽車を動かす油がなくなった時には松の根を堀り自ら油を製造。鉄でできた豆汽車の車体を供出させられた時には木材で車両を作り運転を継続させた。そんな工夫から生まれた遊具がビックリハウス。椅子を揺らし、周りの壁や家具を家ごと回転させることにより浮遊感を演出する遊具だった。昭和20年には空襲が激しさを増し多摩川園はあえなく閉園。五ヶ月後の終戦直後、人々が希望を失っていた時にも遊園地の再開を目指していた。息子の数夫さんは当時貞一が語っていた言葉をはっきり覚えている。「人の心から楽しみを奪うことはできない」。楽しさは食べ物と同じように人にとって必要不可欠であるものと説いたこの言葉を、一雄さんはよく覚えているという。終戦後の翌年の春再開した遊園地には以前の五倍、一日一万人以上の客が訪れた。彼が再開させた遊園地の一つが浅草花やしき。現在花やしきの運営を担っている弘田さんは「レジャー施設の経営が難しい時代。山田貞一の言葉を忘れず、楽しさを提供し続けていきたいという思いで頑張っている」と話す。

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大阪府立大学山田貞一浅草花やしき
episode3 ジェットコースター誕生秘話

日本各地にある、世界記録を持つジェットコースターを紹介。三重県にあるジェットコースターは走行距離2479mで世界最長。落下角度は68度。日本で最もスリルが味わえるコースターはシートがレールの外にありシート自体も回転。その回転数は一回の走行で世界最多の14回。このような巨大ジェットコースターの元祖が、昭和30年7月9日に後楽園球場の隣の遊園地で誕生した。あまりにも客が押し寄せたため、閉園時間を伸ばし24時まで営業したこともあったという。

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三重県後楽園球場東京ドーム

初代ジェットコースターの開発秘話を紹介。テレビの国産化が始まった昭和28年、人々は川上哲治らスター選手が活躍するプロ野球に熱中。後楽園球場の運営会社は家族連れを増やそうと球場のとなりに遊園地を建設する事を決定。その目玉がアメリカで人気だったローラーコースター。走行距離500mの巨大遊具で、輸入するには値段が高すぎた。そこで純国産ローラーコースターを開発することになり、それを引き受けたのが神戸にあった建設会社。戦時中には零戦より早く急降下に強く、旋回能力が高い紫電改を開発。終戦後にはGHQにより戦闘機の製造が禁止されたため、技術者達は余った資材を使って弁当箱などを作っていた。そこに舞い込んだローラーコースター建造という巨大プロジェクトが舞い込む。プロジェクトメンバーには紫電改の開発に携わった精鋭達が招集されたが、誰もローラーコースターを見たことがない。そこで参考にしたのが。当時人気を博した映像が立体的に見える映画で、そこにはアメリカのローラーコースターの疑似体験が映されていた。しかし開園が7ヶ月後に迫っても開発方法の糸口すらつかめない。上下のうねりや急カーブのある道を高速で走ると車輪がレールから離れてしまう。条件に合う車輪を考案したのが、紫電改の車輪設計者の喜多一晴。彼が生み出した秘策が「三点式車輪」と呼ばれる仕組み。上下の揺れやカーブに揺さぶられても、コの字型に固定された車輪がレールから車体の離脱を防ぐ。これは現代に通ずるジェットコースター技術の基礎となる発明だった。車輪の問題が解決するも、乗客にかかる圧力やコースの強度の問題が解決しない。計算方法すら分からず、文字通り手探りで一つづつの数値を割り出していった。喜多が記したジェットコースターに関する計算式は戦闘機開発で養った技術の結晶。当時の様子を知る人物は「手回りの計算機を血反吐を吐くまで回して計算していた」と語る。昭和30年3月、全ての計算を終え設計図が完成。開園の8日前に日本発のジェットコースターが完成。ジェットという名前は、当時空の花形となりつつあったジェット機にちなんだ名前。ジェットコースターには連日長蛇の列ができる大ヒット。喜多達と仕事をした経験のある人物は「彼らには戦争が嫌だという思いがあった。平和な遊園地で好きな仕事ができて幸せだったと思う」とコメント。

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川上哲治後楽園球場明和工務店神戸市(兵庫)紫電改連合国軍最高司令官総司令部零式艦上戦闘機
(エンディング)
エンディング

エンディング映像が流れた。

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