[お知らせ] 検索機能をつけました。どうぞご利用ください。
TVでた蔵トップ >> 番組
2017年4月14日放送 20:02 - 20:45 NHK総合

歴史秘話ヒストリア
「あの天守をもう一度〜熊本城 愛と努力の400年〜」

出演者
井上あさひ 
(オープニング)
熊本城 あの地震から1年

熊本地震からちょうど1年、井上さんが訪れたのは熊本城を築いた武将加藤清正を祀る加藤神社。地震直後から城には入れなくなっていたが今はここまで来て熊本城天守をみることができる。熊本を訪れる観光客も増えている。熊本城の復興も1年で進んだ。地震だけでなく何度も大きな危機があった熊本城の物語を送る。

キーワード
加藤清正加藤神社平成28年熊本地震熊本城
オープニング

オープニング映像。

キーワード
平成28年熊本地震熊本城
あの天守をもう一度 熊本城 愛と努力の400年
熊本のシンボル「熊本城」

熊本市の中心にある熊本城は町の至るところから見える熊本のシンボル。地震が起きる前の年には160万もの人が訪れた。旅行サイトの行ってよかった!日本の城ランキングでも3年連続で1位。築城が始まったのは戦国時代終わり頃。

キーワード
熊本城熊本市(熊本)行ってよかった!日本の城ランキング
episode1 ここがスゴイぞ!熊本城

熊本城の生みの親、戦国武将加藤清正。槍一本でトラを退治したというエピソードが残る武将だが城づくりの名人としても知られる。熊本城は清正が人生の全てをかけてつくり上げた集大成の城。加藤清正は幼い頃から豊臣秀吉に仕え、秀吉を父のように慕っていた。慶長3年、秀吉が亡くなると清正を取り巻く状況は一変。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は江戸に幕府を開き豊臣家を脅かし始めた。その頃清正が築いていたのが自分の領地の城、熊本城だった。記録によれば清正は大阪城が落ちることがあれば秀頼を熊本城に迎え入れ戦う覚悟だったという。こうしてつくられた熊本城は清正の固い決意を感じることができる。熊本城を訪れるとまず見えるのが石垣、城の天守を守るように重なって建っている。熊本城の石垣は低いものでも高さ10メートル、高いものは20メートル以上にもなり、末広がりの形になっている。城を攻める兵が登れないつくりで、別名武者返しの石垣。梯子をかけて石垣を登ろうとしても末広がりのため高いところまで届かない。また迷路のようになっていて先に進みづらくなっている。

キーワード
加藤清正徳川家康熊本城豊臣秀吉豊臣秀頼関ヶ原の戦い

城の中心にあるのが大天守。昭和35年に再建されたもので、中は鉄筋コンクリート製だが外観はかつての姿を再現したもの。高さ30メートルで、大天守の横には小天守がある。江戸時代の絵図を見ると大天守と小天守の周りにさらにたくさんの建物が描かれている。これらは敵を迎え撃つための櫓で数は60。中でも大きなものは宇土櫓、400年前城がつくられた当時から残る建物で国の重要文化財に指定されている。宇土櫓は高さ19メートルで彦根城や松山城の天守とほぼ同じ高さで他の城なら天守として通用するため、第3の天守と呼ばれている。1年前の地震で壁の一部が崩れたが建物の倒壊は免れた。熊本城の完成当時の姿を再現してみると、広さは東京ドーム21個分。高い石垣が何重にも張り巡らされ上には大小2つの天守と60の櫓が睨みをきかせる、熊本城は攻め入る隙のない要塞だった。加藤清正が豊臣家への思いをこめて築いたが決戦の舞台になることはなかった。

キーワード
加藤清正宇土櫓彦根城東京ドーム松山城熊本城
地震から1年 天守と石垣

熊本城のシンボルの天守閣は地震で大きく傷ついたが、修復に向けた動きは進んでいる。天守は倒壊は免れたが屋根の瓦が落ち、石垣が崩れるなどの被害を受けた。今回の工事では天守修復を急ぐためスロープの設置が急ピッチで進められた。大天守は3年間ほどかけて工事するという。できるだけ早く天守の再興をしたいなどと鶴嶋さんは話した。石垣は様々な形の石を巧みに組み合わせてできている。震災前の元の場所に戻すため個々の石に番号をふり分類して並べている。鶴嶋さんは、熊本城の石垣は反りをもっていることが大きな特色で、反りもうまく復元しながら修復していくと話した。城の歴史をみると危機は今回の地震だけではない。江戸時代、戦前戦後も苦難の連続だった。

キーワード
平成28年熊本地震熊本城
episode2 熊本城を守りたい

熊本城がつくられ20年後の江戸時代。丁巳雑録によると地震が相次いで大変な状況だったようだ。そしてその7年後、細川忠利という新しい殿様がやってきた。地震から7年から経っているのに雨漏りなどがあり、城の修理を命じた。石垣27カ所、櫓28カ所、その他80カ所以上にのぼる大工事となった。藩の財政には余裕はなかったが、資金捻出に務めた細川。しかし突如幕府から、江戸城の造営を行うことになったため、熊本城の負担をしてほしいという命令を受けた。これに心揺らいだが、すばらしい熊本城を思って、江戸城の工事と平行して熊本城の修理を行うことにした。藩の貯金と借金でまかない、本来の威厳ある姿を、熊本城は取り戻すことができたようだ。吉村氏によると、熊本城は大地震レベルで江戸時代に8回見舞われているようだ。1854年の地震では、熊本城下が壊滅的な被害を受けていることがわかっている。

キーワード
丁巳雑録江戸城熊本城細川忠利肥後国熊本城廻普請仕度所絵図
地震から1年 一本石垣はいま

飯田丸五階櫓の被害は甚大だったが、一本の石垣が残り、櫓が落ちるのを防いだようだ。石垣の一番上の石が高くなっており、昔の技術の高さが伺えた。櫓と石垣の被害を心配する声が多数あがり、去年緊急処置が施された。一本石垣の耐えている姿が震災復興と重なったようだ。

キーワード
江戸城熊本城細川忠利飯田丸五階櫓
episode3 あの天守をもう一度

西郷隆盛が明治政府に反乱を起こした明治10年西南戦争。この時、反乱軍と熊本城に立てこもる政府軍の戦いが繰り広げられていた。戦いは政府軍が勝利。西郷は官軍ではなく、清正公に負けたと言葉を残しているようだ。しかし、熊本城では混乱の中、原因不明の火災が発生し、天守などが焼け落ちてしまい、地震も発生。60あった櫓が明治の終わりには4分の1まで減少する。

キーワード
宇土櫓熊本地震西南戦争

地震や火災などでぼろぼろになった宇土櫓を修理することになった。昭和2年、一旦すべて櫓を解体し組み立て直しを図った。宇土櫓は市民に一般公開され、多くの市民が櫓にのぼり、巨大な土台しか残っていない状態が市民の心に火を付けたという。いつの日か必ず天守を再建したいという気持ちが湧き上がったようだ。太平洋戦争後、岐阜城や名古屋城などが再建を行い、熊本城も再建に踏み出す。しかし巨大な天守の再建には2億円の資金が必要とされ、市はほとんどを借金で賄おうとする。

キーワード
名古屋城和歌山城太平洋戦争宇土櫓岐阜城広島城松崎吉次郎熊本地震熊本日日新聞西南戦争

そこで市内で金融業を営んでいた松崎さんが5千万の寄付をしたのだ。松崎さんは財産のほとんどを寄付したという。再建への動きはその後一気に加速。街では募金をする動きが見られた。昭和34年4月、再建工事が開始。昭和35年の9月、落成式。83年ぶりに天守が姿をあらわした。1000人以上の市民が押し寄せた。

キーワード
名古屋城和歌山城太平洋戦争宇土櫓岐阜城広島城松崎吉次郎熊本地震熊本日日新聞西南戦争
地震から1年 復興は今も

お城の近くの観光施設には、復興城主という看板があり、ここには復興に協力したいという人が集まっている。1万円以上寄付した人は城主に認定。市内の観光施設の入場料が無料になるなどの特典が受けられるようだ。

キーワード
上野由起
(エンディング)
エンディング

エンディング映像が流れた。

次回予告

次会予告。

歴史秘話ヒストリア

歴史秘話ヒストリアの番組宣伝。

© 2009-2017 WireAction, Inc. All Rights Reserved.Powered by FUJISOFT Inc.