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2017年4月16日放送 0:55 - 1:40 NHK総合

歴史秘話ヒストリア
ヤング家康 徳川四天王との絆〜若殿を支えた三河武士団

出演者
井上あさひ 
(オープニング)
オープニング

オープニング。裏切りや下克上が当たり前だった戦国時代、徳川家康に絶対の忠義を貫いた男たちが居た。徳川四天王と呼ばれた本多忠勝、井伊直政、榊原康政、酒井忠次。若き家康を支え叱咤激励し、天下人へと成長させた。戦を辿りながら、青春の日々を追いかける。

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ヤング家康と徳川四天王の絆
episode1 家康覚醒!~家臣たちのサプライズ~

致道博物館には若き日の家康に大きな影響を与えた武将の武具が残されている。それは酒井忠次のかぶと。前立ては三鍬形で、丸みを帯びた鉢は阿古陀形という古風なスタイル。流行した南蛮胴具足に比べれば時代遅れに見えるが、三河の昔気質の武士たちの象徴でもある。1542年松平家に生まれた竹千代は、大名家の跡取りながら過酷な運命をたどる。松平家は東海では織田家と今川家に挟まれ弱小。今川の傘下に入るも、妻は織田側に付いたため竹千代は家族と離れ離れに。父も裏切りで死に、8歳にして竹千代は人質生活。駿府での心細い日々を送った。彼の身を案じ、20代なかばの酒井忠次は残ってお世話を仰せつかった。今川に遠慮せず堂々としていればいいとコメント。竹千代は手習いの間が用意され、今川の軍師から学問や戦の仕方を教わっていた。元服すると、豪華な鎧も与えられ、今川義元から一字をもらって松平元信と名乗っている。今川義元は自分の息子の補佐役として竹千代を人質にとったのではと推測される。元服し松平元信となった家康は、父の法事で一時的に三河にかえるが、家臣であった武士が植民地状態の土地で畑仕事をしていると知る。三河武士は戦のとき捨て駒として次々に命を落としていた。家臣たちは元信を快く迎え入れ、兵糧の米と軍資金を蓄えていることを明かす。この一件が君主としての自覚を促すきっかけになった。初陣の際、元信は酒井忠次の力を借りて戦った。忠次愛用の軍配が致道博物館に残されているが、中央に干支、丈夫に方位磁石がおかれ、きめ細かな指示を出していたことが分かる。これが重要な作戦立案に関わっていたという。家康は家臣の期待に答え完勝。今川義元は大いに喜び、山中の地を返上した。山中は今の愛知県羽栗町にあたり、山中城があった。軍事上の重要拠点で、家康の祖父が三河統一の足がかりとした場所。三河独立の第一歩となる。

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episode2 ボクが派手なヨロイを脱いだワケ~三河武士団 命をかけた教え~

徳川家康を祭神として祀っている久能山東照宮には、家康の貴重な武具が残されている。歯朶具足と呼ばれる黒い鎧で関ヶ原の戦いで身につけたと言われている。若い頃は金色の金陀美具足を身に着けており、当時の家康の趣味が伺える。この頃に好んでいたのは金色だけでなく、「徳川実紀」の記録によると赤い鎧を身につけることもあった。

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1560年、19歳になった家康は桶狭間の戦いの真っ最中。今川義元と織田信長が激突したこの戦で、今川軍の最前線として活躍。戦いの中で義元が討たれたとの一報が入ると、家康は今川家と決別し三河に戻ることを決めた。自立のチャンスと睨んだ信長は戦に備え農民から兵糧を取り立てたが、強引になったことが思わぬ事態を招く。

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三河に戻り、急いで立て直しを始めた家康だが、そこで見舞われたのが一向一揆だった。家康が強行した年貢の取立に浄土真宗の寺院が猛反発、家臣の半数も寺側に加勢した。専門家の小和田哲男さんによると、今川義元は寺院を優遇していたが、それに比べ若き家康は反発を食らったという。この一向一揆の戦の場所となったのが安城市にある本證寺、寺の敷地には450年前の土塁の跡が現在も残されている。

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家康の家臣らは仏の罰を恐れて寺院への攻撃をためらった。そんな中で前に出たのが若武者だった榊原康政、後の徳川四天王である。康政は初陣にもかかわらず、自分が最初に突撃する先鋒を提案、この勇気ある行動が結束を呼び一揆を抑えることに成功した。その後も家康が危機に陥るたび、若き力がそれを救った。姉川の戦いでは2倍の戦力差で劣勢だったが、この戦いで四天王の1人・本多忠勝が頭角を現した。

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家康が31歳になった1572年、家臣らの支えにより領地を急速に広げていった。その過程でぶつかったのが武田信玄、三方ヶ原の戦いに発展した。武田軍の兵力は徳川軍の倍以上、この時に家康が身につけたのが派手な朱色の甲冑だった。戦では武田信玄の罠にハマり囲まれてしまい、家康は潔い討ち死にを望んだ。しかし、家臣らは真っ向から反対、主君の命を守るため身代わりとなり、辛くも家康を逃れさせた。この頃を境に家康の鎧は変化、若い頃の派手さが無くなり黒を基調とした落ち着いた風合いとなった。

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episode3 われら死して礎となれり~四天王 最後のメッセージ~

三方ヶ原の戦いの後、四天王最後の一人、井伊直政が加わる。赤鬼と恐れられた人物だ。江戸幕府が開かれた後、4家の領地は井伊が18万石、酒井は5万石と決して多くはなく、江戸から離れた土地に置かれている。家康は組織の力を生かし、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃をおさめる大名になった。権大納言に任ぜられ、No.2になる。しかし酒井忠次は目の病によって周りが見えなくなっていた。引退を決断した酒井は、主君の天下を見ることなく世を去った。最後に会ったときは何度も押し頂いたという。榊原康政も忠義の見返りを求めなかった。新たな領地を与えようとした家康を諌め、江戸を守る使命を選んだ。関が原の後に本田は桑名にうつるが、対大阪戦略では重要な土地。井伊の彦根も重要。豊臣と戦うなら必ず通る場所で、この配置は左遷ではなく絆の証だという。死してなお徳川家の礎とならん、というのが信条だった。庄内藩を任された酒井の子孫は今も続いている。家系図には熱い忠義の心が記されている。家次も康俊も家康から名前を頂いている。関が原の後、世を去った酒井以外の3人は酒を酌み交わし主君の天下を祝った。思い出話で飲みは一晩続いた。これが記録に残っている三人の最後の会合。天下泰平の世では、徳川十六将図が流行った。三河武士が描かれていて、討ち死にしたものもそこでは同じくして並んでいる。豊臣秀吉は宝について語った時、粟田口吉光の名刀だと語っているが、徳川家康は「火でも水でも平然と飛び込み己の命を省みぬ家臣が五百騎ほどおります。これが家康第一の宝にございます」とかたった。

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(エンディング)
エンディング

エンディング。

次回予告

歴史秘話ヒストリア次回予告。

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