[お知らせ] 検索機能をつけました。どうぞご利用ください。
TVでた蔵トップ >> 番組
2017年4月29日放送 5:40 - 5:50 NHK総合

NHK映像ファイル あの人に会いたい
アンコール 美空ひばり(歌手)

出演者
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

#347 美空ひばり(歌手)
#347 美空ひばり(歌手)

歌謡界の女王・美空ひばりは、終戦直後から約40年間、日本人の心を歌った国民的歌手。昭和12年に横浜の魚屋の家に生まれ、娘の才能を伸ばそうと考えた音楽好きの父の方針で、流行歌や民謡、どどいつ、浪曲などを聴いて育ったという。父親は素人楽団を結成し、美空ひばりは9歳でデビュー。たちまち天才少女歌手と言われるようになった。そのことについて美空ひばりは、「最初から自分の歌があったわけじゃなく、笠置シズ子先生のモノマネからデビューしたわけです。小さな子どもが大人の声を出して歌っていたところから天才という名前をつけられたんじゃないかと思うんです」と語っている。

キーワード
笠置シズ子美空ひばり

昭和24年、主演映画「悲しき口笛」という映画から主題歌の「悲しき口笛」が大ヒット。その名は全国へと知れ渡り、その後も次々と生み出されるヒット曲は、戦後復興を遂げる街に響き渡った。当時を振り返り美空は高橋圭三とのインタビューで「歌わしてもらってたら、一番嬉しかった時代なので一生懸命歌うってことは忘れなかった」と語り、運動靴で歌うのをいやだとダダをこねたが、客席で多くの人が自分の歌を待っている様子を見て、「私は歌わなくてはいけない」と心に感じたエピソードを語った。

キーワード
悲しき口笛美空ひばり高橋圭三

サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年。美空さんは、歌舞伎座を借り切ってリサイタルを開催。その頃には「リンゴ追分」が空前のヒットとなり、その後も「港町十三番地」など次々とヒット曲を連発し、日本の国民的歌手の道を歩みだした。しかし人気者ならではの悩みもあり、中村メイコとのインタビューでどうしても外を出歩きたくなり、お金を持たずに外出。そのままタクシーに乗り、お金が無いのに気付いたが「リンゴ追分」を歌い無料にしてもらえたなどのエピソードを語っていた。

キーワード
サンフランシスコ平和条約リンゴ追分/港町十三番地中村メイコ歌舞伎座港町十三番地美空ひばり

東京オリンピックが開催された昭和39年には、最大のヒット曲「柔」が誕生。その後も昭和の歌謡史を彩る名曲の数々を歌い、どんな時も笑顔を忘れなかった。

キーワード
東京オリンピック美空ひばり

焼け跡の空に飛び立ち、人々に夢と勇気を与えた美空ひばり。日本人の喜びと悲しみを歌に託した、52年の生涯であった。

キーワード
美空ひばり
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

© 2009-2017 WireAction, Inc. All Rights Reserved.Powered by FUJISOFT Inc.