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「イギリス」 に関するテレビ情報

2017年3月21日放送 5:25 - 8:00 TBS
あさチャン! 朝刊まるわかり

東京オリンピックのゴルフ会場となる霞ヶ関CCは、規則を変更して女性を正会員として認めることを決めた。五輪憲章に抵触すると問題視したIOCの要請に応じた形。近年ではイギリスのセントアンドルーズなど伝統コースでも女性会員に門戸を開いている。(東京新聞)

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年6月23日放送 8:00 - 8:15 テレビ東京厳選!いい宿東伊豆・伊東に今年オープン!海辺に佇む絶景の湯宿
星野リゾート 界 アンジンの夕食。三浦按針の母国にちなみイギリスのエッセンスを加えた創作会席で、帆船をイメージした八寸は、マグロとアボカド 土佐酢ジュレ、川海老から揚げ、九十おかき揚げなど。仕入れによって変わるお造りは、この日は伊勢エビ、キンメダイ、タチウオ、カンパチなどを自家製レモン塩・山葵で。お椀は、オクラにとろろ・タンパクを合わせた翡翠豆腐 唐黍つくね。台の物は魚介と酢橘の紙蓋焼き。キンメダイ、エビ、イカ、アサリなどの新鮮な魚介類に煮切ったお酒と柑橘を加え、香りを旨味を閉じ込めた名物料理。夕食後には、参加無料のご当地楽という「青い目のサムライ紀行」を用意。宿の名前の由来となった英航海士・三浦按針についてスタッフが紹介をする。厳選いい宿イチオシプランは、按針みなとの間「オーシャンビューツイン・ダブル」が、平日29000円、土・休前日は37000円。番組ホームページでは、これまで番組で紹介した宿のイチオシプランを掲載している。詳しくは、パソコンやスマートフォンで「厳選いい宿」で検索。

2017年6月22日放送 8:00 - 10:25 日本テレビスッキリ!!(最新のニュース)
イギリスでは議会の開会に合わせて、施政方針を女王が読み上げた。今年は準備期間がなかったことからドレス姿での演説となった。演説では離脱を成功させた上でヨーロッパとの深く特別な関係を維持するという従来の方針が示された。EU離脱関連法案に時間をかけるため、会期は異例の2年間となっている。

2017年6月21日放送 19:00 - 21:54 TBSトコトン掘り下げ隊!生き物にサンキュー!!/世界がビビる夜世界がビビる夜
驚異のUMA映像BEST3。第3位はアイルランドで撮影された妖精の映像。2位はインドネシアの原人の映像。

2017年6月20日放送 23:00 - 23:58 テレビ東京ワールドビジネスサテライト(ニュース)
野村證券の木下智夫氏は海外でのプログラミング教育事情について伝えた。小学校でプログラミングを必修科目としているのはイギリス、ハンガリー、ロシアで、日本は2020年に必修化となる。一方、指導するノウハウの蓄積などが求められ、現況の英語教育のような事態は避けたいところだという。

2017年6月20日放送 19:54 - 21:48 テレビ朝日コレ誰!?偉人伝 ナニした!?大調査団コレ誰?!ナニした!?の偉人たち
東京・新宿区にある新宿中村屋。レストランの一番人気が、「純インド式カリー」。日本初の本格的インドカリーで、メニューには「恋と革命の味」というキャッチフレーズが書いてあった。
昭和2年、相馬黒光のもとにインド人のラス・ビハリ・ボースがやって来た。相馬黒光は中村屋の創業者の1人で、島崎藤村や国木田独歩との親交もあった。黒光は英語やロシア語も話せたため、中村屋には外国人客も多かった。さらに黒光は芸術に造詣が深く、若く才能のある芸術家を支援するため、敷地にある洋館をアトリエとして無償で貸し出していた。特に関係が深かったのは碌山。碌山の「女」は、相馬黒光をイメージして作られたと言われている。
大正4年、日本では大正デモクラシーが活発化。一方、世界では第一次世界大戦の真っ最中だった。当時イギリスと同盟を結んでいた日本は、連合国の一員として参戦。そんな時、当時イギリスの植民地だったインドの独立運動を進める中心人物だったボースを、相馬家で匿うことになった。ボースが匿われたのは、若い芸術家たちがアトリエとして使用していた部屋だった。ボースが匿われてから4か月後、黒光の娘である俊子が女学校を卒業して家に戻って来た。
黒光は、何も知らない俊子にボースを匿っていることを話した。このとき、イギリス政府はボースに高い賞金をかけ、私立探偵を雇って行方を追跡していた。そんな中、黒光はボースとの連絡役を俊子に任せることに。お嬢様育ちの俊子にとっては、大変な冒険だった。逃亡生活が2年続いたころ、ボースの後見人だった頭山満は、俊子をボースに嫁がせることを提案。黒光が俊子にこれを伝えると、1か月迷った末、ボースと俊子は結婚することになった。
夫婦となった後も逃亡生活は変わらず、新居は日の当たらない隠れ家だった。関東各地を転々とする暮らしが続いたが、逃亡生活を続けながらもインドの独立運動を進めた。外出さえままならなかったボースが唯一楽しみにしていたのが、インドカリー。当時日本のカレーは、カレー粉にメリケン粉を混ぜ、あり合わせの野菜を煮込んだ食べ物だった。しかしインドカリーは、炒めた玉ねぎを形がなくなるまで煮込み、たくさんの香辛料を使った料理だった。第一次世界大戦が集結すると、日本はイギリスとの同盟を破棄。ボースを追跡していた探偵の姿も見られなくなった。
俊子はボースとの間に、2人の子どもをもうけた。長男が生まれた後、ボースは日本に帰化した。しかし俊子は肺病を発症。26歳で死去した。俊子が亡くなって2年後、ボースは中村屋が喫茶部を作ると聞き、インドカリーをメニューに加えるよう黒光にお願いした。昭和2年、中村屋の喫茶部がオープン。その看板メニューとして、純インド式カリーが誕生した。インドカリーは大好評となり、いつしか「恋と革命の味」と呼ばれるようになった。

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