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「カンボジア」 に関するテレビ情報

2017年1月9日放送 0:25 - 1:25 日本テレビ
Going! Sports&News (新成人 憧れのスポーツ選手SP)

第8位は本田圭佑。今シーズン、ミランでの先発が1試合にとどまる本田は、アメリカや中国への移籍報道も出ている。昨年末、アンコールワットがあるカンボジアにやってきた本田は、まずフン・セン首相と会った。その後は自身が経営するサッカークラブ「ソルティーロ・アンコールFC」を訪ねた。しかしスタジアムのピッチはボロボロで、人工芝への張替えを考えた。その後はクラブがある町シェムリアップに出て、子供たちとストリートサッカーに興じた。そして過熱する移籍報道について本田は、移籍先の条件として、そのクラブのプロジェクト内容が重要だと語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年6月27日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
本人のフェイスブックからわかったことがある。3か月の間に、タイ・カンボジア、京都、宮城、神奈川、北海道へ旅行をしている。高級国産車を1台、高級外車を2台所有している。1か月に3回、ディナーショーへ足を運んだ。外食も焼肉や寿司が多い。業務上横領の疑いで逮捕された54歳の女は、金の使い方を公表していたようなものだ。よくある事件であるが、長期間、なぜきづかなかったのかが不思議だという。十年以下の懲役ということになるだろうとスタジオコメント。おそらく実刑だろう。架空経費を計上していたのだろうと玉川さんがいう。

2017年6月26日放送 20:00 - 21:00 日本テレビ世界まる見え!テレビ特捜部美しいものにご用心!見た目に騙されるなSP
カンボジアには年間500万人もの観光客が訪れている。人気なのが孤児院見学ツアー、親のいない子供たちと一緒に遊んだり授業を見学し交流できる。しかし、ツアーの中にはとんでもない詐欺があり、施設にいる子供の多くが孤児ではない。そうとうは知らずに悪徳ツアーに多くの観光客が参加、あるツアーには1日100人以上、日本人も少なくない。3週間施設に寝泊まりしながらボランティア体験をする場合、ツアー客が支払う料金は1人 約12万円。実際に子供達に使われるのはたったの約550円。

2017年6月25日放送 13:50 - 15:00 NHK総合あの日 あのとき あの番組(澤田教一が伝えたこと)
1982年「NHK特集 カメラマン・サワダの戦争~5万カットのネガは何を語るか~」を放送。1970年10月28日、沢田はカンボジアを訪れていた。チャムバク方面へ取材に向かう車内の映像。大雨の中、フロントガラスに銃弾が打ち込まれる。報道カメラマン沢田教一は34歳で短い生涯を終えた。1965年から5年間、ベトナム戦争の最前線を取材し続けていた。ベトナム報道によりスターカメラマンへとなった沢田教一は、ピューリッツァー賞を始めとする国際的賞のほとんどを受賞している。カンボジア政府は、沢田の13回忌となる年にようやく未亡人を受け入れると連絡してきた。沢田サタさんの手元には、夫の残した5万カットのネガが保存されている。その中には、報道写真としては採用されにくい非戦闘場面の写真や、縦サイズの写真なども多く残されていた。
沢田教一は、昭和11年青森市に生まれた。父は保険外交員で酒好きのため家は貧しく、母は和裁をして家を切り盛りしていた。教一少年とカメラとの出会いは13歳。新聞配達のアルバイトをして購入したボックスカメラだった。中学では、遠足などで友人らの写真を撮り売っていた。また、残されたフィルムからは、カメラの前に人を並べて撮る時代にドキュメントタッチの写真を撮ろうと試みていることが窺える。
沢田は青森高校を卒業した後、三沢の基地内にあるカメラ店に就職。後に妻となる田沢サタに出会った。1961年、沢田は突然上京し、アメリカに本社を持つ通信会社UPIへ入社した。当時のUPI東京はアジア総局で、アジアで起こった全てのニュースが送られてきた。中でも、ベトナムから送られてくる焼身自殺や反政府デモのニュースは世界の注目を集めていた。
1965年1月31日、1か月の休暇を取った沢田は滞在費や旅費を自らかき集め、フリーカメラマンとしてベトナムへと降り立つ。実績の無い沢田の特派はUPIには認められなかった。大国アメリカの戦争は国際的に注目を集めており、ストリンガーと呼ばれるフリーランスのカメラマンは良い写真でさえあれば誰でも1枚10ドル前後で写真を売ることができた。沢田の写真には、アメリカのカメラマンとは違う東洋の香りがあった。やがて沢田はUPIサイゴン支局のスタッフカメラマンとして戦中に送り込まれることとなる。1965年9月、アメリカ海兵隊がサーチ&デストロイ作戦を実行。沢田は安全を求めて川を渡る村人の写真を撮影した。この写真はオランダ・ハーグで開かれた世界報道写真展の大賞を受賞。翌年にはピューリッツァー賞をも受賞し、沢田を世界的カメラマンとして飛躍させる結果となった。
世界報道写真展グランプリを受賞後は給料もあがり、サタ夫人と共にサイゴンで暮らした。沢田はUPIに対し、NY雇いにするよう申し入れたが身分は変わらなかった。沢田サタさんが今は空き家となっている元UPIサイゴン支局を訪れ、当時を振り返った。
沢田教一を一躍有名にした写真の一家は今どうしているのか。村を訪れ話を聞くと、写真に映る2つの家族は今は誰も村にいないとのことだった。必死に手を差し伸べていた女性は66歳。何度も家を焼かれ、今はよその村で暮らしている。次男は29歳、技術者となった。長女は難民横丁から姿を消したまま。もう1つの家族の母親は近くの村で爆撃を受け、死亡。娘は19歳となり、教師訓練所で学んでいる。沢田は、報道写真として採用されそうもないベトナムの自然や農民を執拗に写した。そのどこかに青森の風景を見ていたのかもしれない。また、沢田は負傷兵救出の場面を白人兵と黒人兵で捉えることが多かった。
沢田はUPIの切り札として激戦地へ送り込まれるようになる。沢田はこの敗戦を通して、戦争の実像に迫ろうとした。兵士達の虚ろな眼差しを捉えようとする沢田の写真は、報道写真の枠組みを越えていた。いつも英語でしか書かないメモ帳に、沢田はたった一行「戦争の作り出す人間模様」と日本語で書いている。自らの命と引き換えに人間の業を伝えようとする報道カメラマン沢田教一。その生き方は殺されても殺すことのない沢田の戦争であった。
1968年2月、ベトナム戦争で最も激しい市街戦の繰り広げられたユエ市。1967年から狙いの定まった沢田のネガはそれ以降急激に減っているが、ユエの取材は逆に増えているという。そのフィルムには、現代の市街戦の恐ろしさが余す所なく伝えられていた。ユエ城内に密集する民家は尽く破壊され、4000人の市民が犠牲となった。沢田教一はアゴを撃たれ路上を彷徨う母子の写真を撮影。この母子を米軍の救護所へ送り込み、後に男の子の生存を確認したとリポートしている。
1968年9月、3年半に渡るベトナム戦争従軍にピリオドを打った沢田は香港支局へと転任した。沢田の写真を見た人は誰でも、彼が戦場で死なないことを不思議がった。「望遠を持て」というのが仲間内での忠告だったという。ベトナム戦争は1970年に入って新しい様相を示し、内戦はラオス・カンボジアへと広がっていった。沢田はプノンペン支局に詰め、カンボジアを取材する。カンボジアでは反政府軍にも軍としての規律が無く、捕まることは死を意味していた。領内では既にジャーナリストの行方不明が続発し、4人の日本人を含め15人のジャーナリストが安否を気遣われていた。そんな中、沢田はなぜカンボジアへ向かったのか。
当時、沢田はNYから写真集を出したいと考えていた。差別から逃れる為には、アメリカでカメラマンとしての市民権を得ることだけだったという。沢田が望みを託したカンボジア取材最期の傑作は、2時間に渡って農民を追跡取材したもの。この一連の作品は死後にロバート・キャパ賞を受賞することとなった。
沢田が殺されたプノンペン郊外の道をサタ夫人が辿る。当時、辺りには家も人影もなく、車は路肩に止まっていたという。サタ夫人が沢田から受けた最後の手紙には「米国本社社員と同じ条件で保障をするよう求めた」と書かれていたものの、この要求は果たされないまま12年が経過した。サタさんは事件現場に手を合わせ、「運命だと思います。彼自身は好きな仕事に一生を掛けたということで満足だったと思う」と話した。沢田の夢だった写真集が発行されることはなかったが、彼の写真は今もベトナムで歴史を語り続けている。

2017年6月25日放送 13:25 - 13:55 テレビ朝日パネルクイズ アタック25(オープニング)
ゲストの向井理が映画「いつまた、君と」(主題歌:何日君再来 / 高畑充希)の告知を行った。
向井理がクイズを出題。「ある国の名前は?」という問題。ヒント「面積は日本の約半分」「熱帯モンスーン気候に属し雨季と乾季がある」「猫ひろしが…」を出題。答えは「カンボジア」で白が正解。

2017年6月20日放送 4:00 - 5:50 日本テレビOha!4 NEWS LIVEぎゅぎゅっとスポタメ
シリーズを通しての全世界のでの累計興行収入が約4200億円を記録する「トランスフォーマー」シリーズの最新作、映画「トランスフォーマー/最後の騎士王」‭(日本では東和ピクチャーズの配給で8月4日より全国公開)のグローバルプレミアが、ロケ地となったイギリスのロンドン市内で行われ、世界中のメディアが殺到した。同作品で監督をつとめるマイケル・ベイ氏は「帰ってこられてうれしいです。ロンドンでの撮影は楽しかった。スタッフも素晴らしかった。ぜひまたここで撮影したい」と語り、日本のファンへ向けて「これまでエジプト、アフリカの先端、カンボジア、中国、ヨーロッパ、アイスランド、北極に行ったけど、日本が舞台となることもあるかもね!」とメッセージを贈った。また主演のマーク・ウォールバーグさんは「人類との関係の起源も含めたトランスフォーマーの歴史が見られます」と見どころを明かした。

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