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「勝海舟」 に関するテレビ情報

2017年3月21日放送 7:30 - 8:00 テレビ東京
歴史の道 歩き旅 (忍者の里から井伊家ゆかりの地・彦根を目指す旅)

滋賀県甲賀市・土山宿本陣跡。お殿様たちが宿泊した部屋には、明治天皇が宿泊し、この場で17歳の誕生日を迎えられたことも。土山基さんは、ここがリングに見えて友達とプロレスごっこをして叱られたなどと明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年6月23日放送 2:29 - 2:59 日本テレビワケあり!レッドゾーン(ワケあり 動かない男)
「銅像」の魅力は、ゆかりの場所にある偉人の銅像には魂が宿っていて時空を超えてその偉人と対話する高揚感を感じられる。

2017年6月16日放送 20:00 - 20:43 NHK総合歴史秘話ヒストリア大奥ロイヤルウエディング 篤姫と和宮と運命のプリンス
徳川家に幻の将軍と呼ばれた人物の衣服が伝えられている。それは子供用の裃と袴で、5歳の時に身につけたもの。その少年は田安亀之助といい、15代将軍徳川慶喜の跡、16代将軍になる予定だった。しかし幕末の動乱で江戸城に敵軍が押し寄せると、亀之助は矢面に立たされる。この時、亀之助を救ったのは篤姫と和宮だった。和宮の夫・将軍家茂の死後、次の将軍が誰になるかが問題としなった。家茂は跡継ぎをはとこの田安亀之助に指名していた。当時4歳で子供のいない篤姫と和宮にとって我が子同然だった。しかし敵対する長州藩との戦いに敗れ、幕府の威信が地に落ちていた。そのため亀之助が成人するまで、別の親族である徳川慶喜を将軍に立てることにした。
しかし徳川慶喜が将軍になっても、幕府の立場は悪くなる一方だった。篤姫の実家である薩摩藩が幕府の一番の敵である長州藩と同盟を結び、和宮の実家である天皇家を中心に新しい国造りを始めようとした。そのために徳川家を武力で滅ぼすという考えを持っていた。翌年の正月に鳥羽・伏見の戦いが起き、幕府軍と新政府軍の戦いが始まった。幕府軍は敗れ、慶喜は朝敵とされたうえに徳川家を追討せよという命が下される。慶喜は逃げ帰り江戸城を出て謹慎、新政府に謝罪し寛大な処置を願った。しかし西郷隆盛は慶喜と徳川家を滅ぼすと主張し、江戸へ向けて進軍を開始する。
篤姫と和宮は実家に帰ることもできたが亀之助を助けるために江戸に残り、動き出した。和宮は朝廷に向けて手紙をしたため朝廷を動かし、徳川家が許される可能性もあると示された。しかし西郷隆盛ら強硬派の進軍は止まらず、静岡に到着。江戸城総攻撃を3月15日とした。江戸の城下では人々はパニックに陥った。今度は篤姫が旧知の間柄だった西郷隆盛に訴えた。その内容には徳川家の存続が認められなければ、江戸城とともに命を捨てるとまで書かれていた。総攻撃の3日前にこの手紙を受け取った西郷隆盛は涙を流したと言われている。そして江戸総攻撃前日、西郷隆盛と勝海舟の間で和平交渉が持たれ、攻撃は中止された。江戸城を明け渡すことで徳川家の存続が認められ、亀之助の命は救われた。
しかし新政府は徳川家に対して、江戸を含む400万石の領地を取り上げ 、駿府の70万石に移れという処分を言い渡した。この処分は、新政府軍が江戸に新たな拠点を置くための処置だったが、亀之助と2万を超える旧幕臣は困窮してしまう。これに反対の声をあげたのが篤姫だった。篤姫は徳川家が朝廷に対して反逆したわけではない のに、減封処分されることに反論した。これに対し、かつての幕府の上層部の者たちは、ことを荒げたくないために反発した。篤姫は自分の考えを変えずに孤立無援となったが、手を差し伸べたのが和宮だった。和宮は新政府に手紙を送り処分の再考を願ったが、新政府の決定は覆らなかった。しかしこの働きは無駄にはならず、亀之助は正三位という高い位を授けられた。罪あるものならばこの待遇はあり得なかった。
東京千駄ヶ谷の東京体育館は、2020年東京オリンピック・パラリンピックで卓球の競技会場になりことが予定されている。この場所はかつて徳川家の屋敷があり、明治時代になると篤姫と田安亀之助はそこで暮らした。徳川家16代当主となった亀之助は、徳川家達に名を改める。篤姫は家達の教育に尽力し、和宮も近くに住み教育を手助けしたと言われている。家達を15歳から5年もの間イギリスに留学させるなど、新しい時代に通用する人材となるよう育てた。その後、家達は公爵となり貴族院議長など要職を歴任する。特に手腕を振るったのは外交で、ワシントン会議では全権を務め、軍の反対を押し切り軍縮条約の締結にこぎつく。家達の功績は天皇にも評価され首相候補になったほどだった。徳川家では篤姫の働きが代々伝えられている。篤姫と和宮の交流は続いたが、和宮は箱根の旅館に滞在中に亡くなってしまう。篤姫が、和宮が亡くなった旅館を訪れた際の日記が残っている。

2017年6月4日放送 16:55 - 17:25 NHK総合情熱発掘!エライ人 銅像をどーぞ(情熱発掘!エライ人 銅像をどーぞ)
銅像研究家の遠藤寛之さんが調べた全国にある銅像数ランキングを紹介。1位は坂本龍馬で、ゆかりのなさそうな北海道に龍馬の銅像があるという。その銅像は、函館市にある龍馬の記念館にあった。北海道開拓に意欲を燃やした龍馬の遺志を受けたファンの寄付によって建てられたもので、手掛けたのは多くの銅像を作っている彫刻家の山崎和國さんだった。実は、龍馬の遺志は引き継がれ、1897年、龍馬のおい・直寛は土佐から移民団を率いて北見に入植。その結果、坂本家の本家は北海道にある。直寛の孫・直之は画家になり、「六花亭」の包装紙をデザインしている。そして、10代目当主の坂本匡弘さんは、北海道に銅像ができたことを嬉しく思っているという。さらに、匡弘さんは西郷隆盛や勝海舟の子孫といまだに交流があると明かした。

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