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「広島県」 に関するテレビ情報

2017年4月21日放送 15:50 - 19:00 TBS
Nスタ トクする!3コマニュース

パラオ共和国が東京五輪の事前合宿地として宮城・蔵王町と正式に調印する運びとなった。こうした合宿誘致の動きは日本各地で行われていて、メキシコは先月に広島県の13の自治体を視察している。またイタリア柔道チームは今年1月、事前合宿地として静岡・藤枝市と覚書を締結。さらにフランスの水泳チームは今年1月に金沢市のプールを訪問している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年8月15日放送 23:00 - 0:26 TBSNEWS23綾瀬はるか「戦争」を聞く
「死の露」と呼ばれる毒ガスを作ったと証言する91歳の藤本安馬さんを綾瀬はるかが取材。うさぎ島と呼ばれ外国人の観光客にも人気の広島県の大久野島はかつて毒ガスを造っていた。1929年に日本陸軍が大久野島で毒ガス製造を開始。1938年の地図では大久野島がある辺りは不自然に切り取られていた。藤本さんは毒ガスの製造に関して一切口外してはならないという誓約書を書いたと話した。島の奥に行くと廃墟となった当時の発電場の建物が残されてあった。
藤本さんは15歳の時に「お金をもらいながら勉強できる」という謳い文句に惹かれ毒ガスの製造とは知らずに大久野島へ渡った。上陸した途端に刺激性が強く言葉では言い切れない強力なにおいがしたという。島には6700人が働いており、防毒服に身を包み24時間体制で毒ガスを製造した。当時を振り返り「中国侵略戦争に勝利するための毒ガス製造なので大変名誉なこと」と話した藤本さんは現在でも「ルイサイト」という毒ガスを製造するための化学式を覚えていた。ルイサイトは皮膚に付くとやけどのようになるという強い毒性から「死の露」という異名がつけられていた。安全管理はずさんで多くの作業員が有毒物質を吸い込みながら毒ガスを造り続けた。
大久野島では女性も働いていた。美術教師として戦後を生きた87歳の岡田黎子さんは大久野島での体験を絵本にし語り継いでいる。女学生だった岡田さんは終戦までの約9か月間島で働いた。作業内容はドラム缶を運ぶというもので、「ドラム缶を触った手で頬を触れてはいけないと注意を受けたが、中に何が入っているのかは説明を受けなかった」と振り返った。ドラム缶には毒ガスの原料が入っており、島に行った人は全員が慢性気管支炎になったという。岡田さんは「忘れてはいけない。毒ガスは簡単に使える安物の核兵器。世界に発信しないといけない」と話した。
大久野島の対岸にある呉共済病院忠海分院では島で働いた人たちの健康被害を戦後も見続けてきた。毒ガスを製造する側にいながら亡くなった人の数は3700人以上もいる。藤本さんは毒ガスの影響で慢性気管支炎に加え胃がんを患い切除した。藤本さんを支えているものは負の歴史を伝え続けるという使命感。現在も毒ガス島の現実を伝える活動をしている。綾瀬はるかが「毒ガス製造の方程式を現在も覚えているのはなぜか」と質問。藤本さんは「忘れてはならない。忘れることができない。勉強とは本来は人間が生きるためにするものだが、私は中国人を殺すために毒ガスを造った。いわゆる犯罪者」と答えた。さらに藤本さんは「方程式を忘れるというのは犯罪の根拠をないことにするということ。忘れてはならない」と話した。

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