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「徳川家光」 に関するテレビ情報

2017年3月21日放送 7:30 - 8:00 テレビ東京
歴史の道 歩き旅 (忍者の里から井伊家ゆかりの地・彦根を目指す旅)

琵琶湖の南東にある滋賀県甲賀市へ。東海道五十三次・49番目の宿場町、土山宿が代表的な町。土山宿本陣跡は1634年、徳川家光上洛の際に設置された。勝海舟や、細川家の人々が宿泊した。奥には明治天皇が泊まった部屋も。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年6月18日放送 12:00 - 13:00 フジテレビウチくる!?(鎌倉日帰り大人女子旅)
一行は今回特別に一般入館できない英勝寺の仏殿の中へ案内してもらう。まずは徳川家光が寄進しら阿弥陀如来像を拝見し、尼寺として今も語れれる英勝寺の歴史について教えてもらった。

2017年6月12日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー良純未来図
3代目家光が作り直した。神として祀るために豪華絢爛にしたという。欄間には人が掘られており子どもが遊ぶ姿がある。子どもが遊ぶは平和の象徴だという。家光が平和への思いを描き柱の模様にも想いが込められている。グリ紋が一つだけ逆に書かれている。完成させないでわざと1ヵ所だけ欠点を残しておくと完成しないので崩れないと言われている。

2017年6月11日放送 0:05 - 0:50 NHK総合歴史秘話ヒストリア将軍様と10万匹の犬〜徳川綱吉の大江戸動物ワンダーランド~
1646年に綱吉は3代将軍家光の四男として生まれ幼い頃から勉強熱心で、特に儒学に力を入れ親や兄たちを支える存在になろうとした。時には徹夜で書物を読み通すという真面目な性格だった。儒学を学ぶうちに「民は国の本なり」という教えだった。この考え方に大きな影響を与えたと言われるのが母の桂昌院の存在だった。桂昌院は庶民から家光の側室になった異色の人物で、綱吉について研究を勧めてきたボダルト=ベイリーさんは母子の関係について、桂昌院は綱吉に庶民の貧しい暮らしについて聞かせていたと思われ綱吉は庶民を強く意識していたとした。綱吉は歴代将軍の中でも庶民の悩みを知り抜いた将軍だったという。1680年、兄の4代将軍家綱が急死したことで綱吉は35歳で将軍職を継ぐことになった。長年温めてきた庶民のための政策を打ち出していくことになり、まずは公務員改革として全体の半数以上の悪代官を罷免させ交代した。さらに米や麦の買い占めを禁止した。財政改革で新たに勘定吟味役を設置し、財政のムダを切り詰めた。そして福祉政策として特に力を入れたのが捨て子の保護で、捨て子が見つかった場合には捨て子が捨てられていた場所の主が養育せよというお触れを出した。更に7歳までの身寄りのない子どもや、妊婦を帳簿に記録し町で面倒を見るよう命じた。綱吉の改革は罪人にも及び、劣悪な環境だった牢屋に風通しを良くするための格子戸を作り月5回の入浴をさせるなど衛生状態の改善をはかった。専門家は綱吉の性格の中に広い視点を持っている、上から下まで底辺まで見通す力があったとした。
民のための改革を成し遂げた綱吉の総仕上げとも言えるのが生類憐れみの令だった。老中の言葉には、「上様は世の中を治めていくためには人々が生き物をいたわる心を大事にすることが重要だとお考えになられた」とした。綱吉が憂いていたのは戦乱の世から半世紀以上立っているのに未だ殺伐とした世相で、武士たちの辻斬りが横行していた。庶民の間にも行き倒れの旅人を見捨てる自分さえ良ければいいという風潮が広がっていた。命の大切さを皆が理解してこそ平和な世の中はやってくるという考えがあった。専門家は平和な時代を作る上で動物を大事にすることの大切さを言っているのではと話した。世界に類を見ない改革を実施した綱吉の様子は、ドイツ人医師ケンペルの日本滞在記には「綱吉は優れた君主で彼の下ではすべての国民が調和していた、この国は生活習慣や道徳の面で世界のあらゆる国々を凌駕している」と記されていた。
綱吉は護国寺を建立するなど寺社の復興にも積極的に取り組んでいた。一方で町内にいる犬猫などの動物とその世話役を記した台帳を作れとのお触れを出した。その際に老中らは民を気遣った一文を追加した。しかしこれを知った綱吉は激怒し撤回、綱吉には完璧主義者の一面をもっていた。綱吉については徳川光圀から犬の毛皮が送られたとの逸話が残っている。2人の戦いに町人らも便乗し綱吉は暴走していった。

2017年6月7日放送 10:15 - 10:40 NHK総合趣味どきっ!海・山・町を再発見!おとなの歩き旅
お城の歩き方コツを伝授してくれるのは「萩原さちこ」さん。戦国の舞台になった松本城を目指し散歩する際、門をくぐらず城の周りを歩くのがポイント。内堀沿いを歩きながら歩くと城の姿を間近で見ることができる。豊臣秀吉の家臣である石川数正の親子によって築きあげられた。また松本城に大天守の他、辰巳附櫓と月見櫓の建物がつながっている。大天守は秀吉が徳川家康を牽制する目的で築いたときのもので、あとに作られた2つの建物は江戸時代になってから徳川家光を迎えるために、寛永10年に増築されている。さらに進んでいくと見る角度によって、また奥には「犬小天守」と「渡櫓」が作られている。周りを散策したところで門をくぐり正面をみると、新しい発見が読み取れ歴史を感じることができる。
さらに松本城に近づくと、瓦には戸田家「はなれ六星」・小笠原家「三階菱」などの家紋が刻まれている。また、城主が6家23代変わったことによる家紋が至る所に見られるという。黒壁は秀吉が派手好きが好んだ色で、有力な家臣にだけ黒を塗ることを許された。その他に、広島城・熊本城などあるが、全国のうち本物の黒漆を使っているのは松本城だけだという。白い城が見られるのは徳川家康が付けられた「白漆喰」の色。もともと防火性に優れていることから広まったという。当時な城を残すため毎年9月に国産漆を使い続けている。スジカイバケの器具を使い、前年の漆を落とし約5000枚の板を丁寧に塗り上げている。下にある石垣「野面積み」で積まれているが、江戸城では「切り込み接ぎ」で組み合わされている。
天守の中に進んでいくと軍事施設のため極力暗くして作っているという。また増築部分「辰巳附櫓」から「月見櫓」へと進むと、将軍を迎えるために建てられたため平和な時代だからこそ明るく作られている。上の階に進むと「突上げ戸」を発見。また一段は天井低くいが4階にあがると「御座所」場所が設けられており、5階を上がる角度61度階段をあがると5階建てではなく上へと向かう6階があった。断面図は2階を隠し階としているため、5階建てに見えるという。松江城の場合は、4重だが5階地下1階にある。犬山城は3重4階地下2階。松本城のご褒美は、美しい北アルプスの景色が見える。また、最後に年賀状の写真として写真をとった。

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