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「築地(東京)」 に関するテレビ情報

2017年1月12日放送 1:35 - 2:05 テレビ東京
車あるんですけど…? (車あるんですけど…?)

東京都小金井市で「車を1日貸したら何に使いますか?」と質問。そこには国際基督教大学の学生さんたちと外国人留学生が一緒にいた。留学生は9月に来日したばかりで、国際基督教大学の学生は留学生に日本を案内しているのだという。車貸し出しのことを聞いた齋藤智彰さんは「築地に行こう」と提案。早朝に開かれる魚市場を体験させてあげようと思ったのだ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年5月19日放送 10:25 - 12:00 テレビ朝日ワイド!スクランブル(ニュース)
去年11月に移転予定だった豊洲新市場について今年の夏頃、判断を下すのではないかとされている。7月2日に都議選の投開票日があり、知事は重要な関心事の一つとして認識しているとしたものの、時期については明らかにしていない。市場問題プロジェクトチームは中道案として豊洲と築地を両方使用することを可能性の一つとして言及した。

2017年5月19日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日グッド!モーニング朝刊まとめ
豊洲市場の汚染対策費はすでに約860億円にのぼっており、移転が決まった場合は65年で60億~120億円が上乗せされることになる。追加対策として、気化した有害物質が地上の市場に入るのを防ぐため、地下をコンクリートや遮蔽効果がある特殊シートで覆ったり、換気設備を設けたりする。地下水からは先月も環境基準の最大100倍のベンゼンが検出された。関係者は、無害化が保証されないなら移転は納得できないと反発、議論は紛糾した。(朝日新聞)

2017年5月18日放送 16:50 - 19:00 テレビ朝日スーパーJチャンネル(ニュース)
東京都の豊洲市場専門家会議は豊洲市場の最新調査で最大で環境基準の100倍のベンゼンが検出されたことなどを明らかにした。会議では土壌汚染対策の新案が提案された。地下空間を特別なシートやコンクリートで覆い、換気システムを設置し、地下水組み上げポンプ強化するというもの。会議は市場関係者からの怒りの声が飛び交い、対策の詳細が説明されないまま途中で終わった。

2017年5月17日放送 9:28 - 11:13 テレビ東京なないろ日和!(エンディング)
このあとは、虎ノ門市場 幸せごはん漫遊記。築地 掘り出し物グルメ!お得な訳あり 蒸し紅ずわいがにのむき身を紹介。

2017年5月14日放送 10:20 - 11:08 NHK総合明日へ−つなげよう−忘れじの旅 2017春
山本哲也さんが最初に向かったのは4年ぶりの浪江町。福島第一原発から町の中心部まで約8キロ。この春一部で避難指示が解除され人が住めるようになった。番組が初めて町を訪ねたのは震災から2年後で日中しか立ち入りが許されず駅前に人影はなしで地震でこわれた建物がそのままであった。あれから4年。通りでは建物の解体が次々と行なわれていた。駅前の道は綺麗に舗装されている。町の営みが始まる感じがしないでもない。この春の避難指示解除を待ちわびていた人たちがいた。農業を営む川村博さんは農業の再開に準備を進めてきた。畑を案内してもらった。ラナンキュラスがそこには咲いていた。他にもりんどうなどを栽培し東京に出荷するほどまでになった。順調に見えるが道のりは平坦ではなかった。震災前に川村さんは野菜をメインに作っていたが震災2年後自らで畑を除染し野菜栽培を再開した。しかし野菜づくりだけでは安定した収入にならなかった。そこで風評被害を受けにくい花の栽培に着手し試行錯誤を続けてきたという。川村さんの思いに共感し県外からやってきた若者がいる。櫻井さんである。
続いて海沿いの地域に向かった。かつて住宅地だったが津波で壊滅的な打撃を受けた。原発までの距離は約6キロほどだ。
高台に新しい墓地が立っていた。ここで山本さんには吉本さん夫婦と思わぬ再開があった。初めて会ったのも墓参りのときで当時は海の近くにあった。吉本さんはその後避難先に住まいを構えたがお墓だけは故郷に残しておきたいと浪江に再建したという。
海沿いを離れ住宅街を歩いてみる。かつて2万人が暮らしていた浪江町だが町に戻りたいとするかという去年の調査では2割をきった。森藤基子さんは車で2時間をかけ震災前に暮らしていた自宅の掃除に来ていた。浪江に戻りたいが今はまだ決めきれないという。夫は4年前避難先で亡くなった。生前浪江町に戻りたいと話していたという。
お昼時町中で賑わいのある仮設商店街を訪ねた。入っているのは飲食店など10店で役場職員や工事関係者が利用している。ここで新たな一歩を踏み出した人たちがいた。黒坂榮さん68歳だ。黒坂さんの店は海の幸を中心に約20種類のメニューが並ぶ和食店で海鮮丼をいただいた。魚は近くの相馬市や東京の築地から仕入れているという。黒坂さんは震災前には寝具店を営んでいた。初めて出会ったときは震災後の片付けをしていた。当時浪江町での商売再開を諦めていた。黒坂さんがもう一度やる気になったのは息子の千潮さんがいたからでダメ元で浪江町で店を出さないかと声をかけたという。夫婦で支えようと決めたという。和食店を初めて半年黒坂さんには気がかりがある。客は日中しか集まらず今後の町にどれぐらい人が帰ってくるか見通しは立っていないことである。山本さんはまたの再開を約束した。

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