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「マッチさん」 に関するテレビ情報

2017年1月7日放送 1:50 - 2:20 日本テレビ
指原&水卜の!上には上がいるもんだ (上には上がいるもんだ)

小山慶一郎の憧れの人は日テレアナウンサーの藤井貴彦で、マッチさんみたいな感じだという。マウスピースを持ち歩き、発声で使っている。これについて手越は「楽屋で肺活量を鍛えるためいつも訳の分からない笛を吹き続けている。それがすげーウルサイ!」と話している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年5月22日放送 23:00 - 23:30 フジテレビキスマイBUSAIKU!?(オープニング)
ゲストの亀梨和也と塚田僚一を紹介。実は亀梨・塚田・藤ヶ谷の3人はデビュー時期は違うがジャニーズの同期。一緒にバラエティ番組に出るのは今夜が初めて。亀梨の交流のある先輩は近藤真彦と木村拓哉と話した。

2017年5月16日放送 8:00 - 9:55 TBSビビット女の人生シリーズ
月丘夢路さんは石原裕次郎や多くの大スター達と共演。後に絶世の美女とも表される美貌で魅了した。出演映画は155作品。大女優の素顔を長女の井上絵美さんが明かした。女優への夢は14歳の時に東京に行き「こんな夢のような世界があるのか。私もここに入りたい」とそれから宝塚のことばかり考えていたという。両親を説得した月丘さんは1937年宝塚へ入学。1939年ヨーロッパで第二次世界大戦が開戦。活動の場は軍需工場などへの慰問だけで軍国主義をたたえる演目のみ。さらに戦争の激化とともにデビューからわずか3年で奪われた活躍の舞台。政府によるぜいたく禁止令で宝塚歌劇は閉鎖された。終戦後の数少ない娯楽は映画だった。そこで再び輝きを取り戻し、1年間で11本の映画に出演。夜の牙を期に石原裕次郎と友情を深めた。美空ひばりとも仲が良かったという。しかし2人が相次いで亡くなりその時月丘さんは「日本の宝が亡くなってしまった」とコメントした。
多くの映画スターとともに昭和の銀幕を飾ってきた月丘夢路さんは近藤真彦さんとも交流があり、近藤真彦さんは月丘夢路さんのことを慕っていたという。月丘さんは1957年に井上梅次監督と結婚。井上監督は石原裕次郎さんを一躍スターダムに押し上げた映画「嵐を呼ぶ男」の監督である。結婚から3年めで娘絵美さんを出産した。映画スターのお母さんを持つがゆえの寂しさもあったと井上絵美さんは語る。月丘夢路さんと娘の絵美さんには絆の証、クッキー缶があるという。そこにはクッキーの缶を開けるとその日のお菓子とともに娘へのメッセージがあったという。月丘夢路さんが最もこだわった作品が映画「ひろしま」であった。当時、松竹の専属女優だった月丘夢路さんは業界のタブーとされていた別の映画会社の作品に出演したことになる。この映画には出演料なしで出演したという。最後に月丘夢路さんが残した言葉は「映画を見てひとときの心の憩いであったり慰めであったリ、そういうことに参加できたのはありがたいことだと思っている」であったという。月丘夢路さんは95年の人生に笑顔で幕をおろした。

2017年5月14日放送 9:55 - 11:25 日本テレビ誰だって波瀾爆笑誰だって波瀾履歴ショー
しっかりした金銭感覚が培われたいとうあさこ。さらに父の教えは「マッチとは結婚できない」というもの。あさこはその頃マッチが大好きで二段ベッドの上段を使っていたので天井と壁にマッチのポスターや切り抜きなどを貼りまくっていた。しかしある日の夜にふと目を覚ますと枕元で父親がマッチとは結婚できないとつぶやいていた。

2017年5月13日放送 22:20 - 22:54 NHK総合バナナ♪ゼロミュージック有名人が語る昭和歌謡SP
時代を超えて愛される歌を数多く残した作詞家・松本隆。中でもファンが多いのがアイドルソングだ。当時のトップアイドルに次々と詞を提供した。特に松田聖子には130曲以上を作詞をしている。そんな松本隆だが、松田聖子の代表曲「赤いスイートピー」は「呉田軽穂」という人物に作曲を依頼している。ここで日村に「呉田軽穂とは誰のことか」という問題が出題。正解は「松任谷由実」だと清水ミチコがモノマネで発表した。さらに、設楽統に「清水ミチコがはじめてしたモノマネは?」という問題が出題。正解は天地真理だった。

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