[お知らせ] 検索機能をつけました。どうぞご利用ください。
TVでた蔵トップ >> キーワード

「青森市(青森)」 に関するテレビ情報

2017年1月12日放送 4:00 - 4:25 フジテレビ
めざましテレビ アクア ニュースアクア400

今季最強の寒波が到来した北日本ではきのう、大荒れの天気となった。青森・酸ヶ湯では、この冬、全国で初めて積雪が2mを超えた。一方、きのう最低気温が-9.8℃を記録した札幌市では、水に濡らしたジーンズが凍った。これから先の雪・風の予想を紹介した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年6月25日放送 13:50 - 15:00 NHK総合あの日 あのとき あの番組(澤田教一が伝えたこと)
1982年「NHK特集 カメラマン・サワダの戦争~5万カットのネガは何を語るか~」を放送。1970年10月28日、沢田はカンボジアを訪れていた。チャムバク方面へ取材に向かう車内の映像。大雨の中、フロントガラスに銃弾が打ち込まれる。報道カメラマン沢田教一は34歳で短い生涯を終えた。1965年から5年間、ベトナム戦争の最前線を取材し続けていた。ベトナム報道によりスターカメラマンへとなった沢田教一は、ピューリッツァー賞を始めとする国際的賞のほとんどを受賞している。カンボジア政府は、沢田の13回忌となる年にようやく未亡人を受け入れると連絡してきた。沢田サタさんの手元には、夫の残した5万カットのネガが保存されている。その中には、報道写真としては採用されにくい非戦闘場面の写真や、縦サイズの写真なども多く残されていた。
沢田教一は、昭和11年青森市に生まれた。父は保険外交員で酒好きのため家は貧しく、母は和裁をして家を切り盛りしていた。教一少年とカメラとの出会いは13歳。新聞配達のアルバイトをして購入したボックスカメラだった。中学では、遠足などで友人らの写真を撮り売っていた。また、残されたフィルムからは、カメラの前に人を並べて撮る時代にドキュメントタッチの写真を撮ろうと試みていることが窺える。
沢田は青森高校を卒業した後、三沢の基地内にあるカメラ店に就職。後に妻となる田沢サタに出会った。1961年、沢田は突然上京し、アメリカに本社を持つ通信会社UPIへ入社した。当時のUPI東京はアジア総局で、アジアで起こった全てのニュースが送られてきた。中でも、ベトナムから送られてくる焼身自殺や反政府デモのニュースは世界の注目を集めていた。
1965年1月31日、1か月の休暇を取った沢田は滞在費や旅費を自らかき集め、フリーカメラマンとしてベトナムへと降り立つ。実績の無い沢田の特派はUPIには認められなかった。大国アメリカの戦争は国際的に注目を集めており、ストリンガーと呼ばれるフリーランスのカメラマンは良い写真でさえあれば誰でも1枚10ドル前後で写真を売ることができた。沢田の写真には、アメリカのカメラマンとは違う東洋の香りがあった。やがて沢田はUPIサイゴン支局のスタッフカメラマンとして戦中に送り込まれることとなる。1965年9月、アメリカ海兵隊がサーチ&デストロイ作戦を実行。沢田は安全を求めて川を渡る村人の写真を撮影した。この写真はオランダ・ハーグで開かれた世界報道写真展の大賞を受賞。翌年にはピューリッツァー賞をも受賞し、沢田を世界的カメラマンとして飛躍させる結果となった。
世界報道写真展グランプリを受賞後は給料もあがり、サタ夫人と共にサイゴンで暮らした。沢田はUPIに対し、NY雇いにするよう申し入れたが身分は変わらなかった。沢田サタさんが今は空き家となっている元UPIサイゴン支局を訪れ、当時を振り返った。
沢田教一を一躍有名にした写真の一家は今どうしているのか。村を訪れ話を聞くと、写真に映る2つの家族は今は誰も村にいないとのことだった。必死に手を差し伸べていた女性は66歳。何度も家を焼かれ、今はよその村で暮らしている。次男は29歳、技術者となった。長女は難民横丁から姿を消したまま。もう1つの家族の母親は近くの村で爆撃を受け、死亡。娘は19歳となり、教師訓練所で学んでいる。沢田は、報道写真として採用されそうもないベトナムの自然や農民を執拗に写した。そのどこかに青森の風景を見ていたのかもしれない。また、沢田は負傷兵救出の場面を白人兵と黒人兵で捉えることが多かった。
沢田はUPIの切り札として激戦地へ送り込まれるようになる。沢田はこの敗戦を通して、戦争の実像に迫ろうとした。兵士達の虚ろな眼差しを捉えようとする沢田の写真は、報道写真の枠組みを越えていた。いつも英語でしか書かないメモ帳に、沢田はたった一行「戦争の作り出す人間模様」と日本語で書いている。自らの命と引き換えに人間の業を伝えようとする報道カメラマン沢田教一。その生き方は殺されても殺すことのない沢田の戦争であった。
1968年2月、ベトナム戦争で最も激しい市街戦の繰り広げられたユエ市。1967年から狙いの定まった沢田のネガはそれ以降急激に減っているが、ユエの取材は逆に増えているという。そのフィルムには、現代の市街戦の恐ろしさが余す所なく伝えられていた。ユエ城内に密集する民家は尽く破壊され、4000人の市民が犠牲となった。沢田教一はアゴを撃たれ路上を彷徨う母子の写真を撮影。この母子を米軍の救護所へ送り込み、後に男の子の生存を確認したとリポートしている。
1968年9月、3年半に渡るベトナム戦争従軍にピリオドを打った沢田は香港支局へと転任した。沢田の写真を見た人は誰でも、彼が戦場で死なないことを不思議がった。「望遠を持て」というのが仲間内での忠告だったという。ベトナム戦争は1970年に入って新しい様相を示し、内戦はラオス・カンボジアへと広がっていった。沢田はプノンペン支局に詰め、カンボジアを取材する。カンボジアでは反政府軍にも軍としての規律が無く、捕まることは死を意味していた。領内では既にジャーナリストの行方不明が続発し、4人の日本人を含め15人のジャーナリストが安否を気遣われていた。そんな中、沢田はなぜカンボジアへ向かったのか。
当時、沢田はNYから写真集を出したいと考えていた。差別から逃れる為には、アメリカでカメラマンとしての市民権を得ることだけだったという。沢田が望みを託したカンボジア取材最期の傑作は、2時間に渡って農民を追跡取材したもの。この一連の作品は死後にロバート・キャパ賞を受賞することとなった。
沢田が殺されたプノンペン郊外の道をサタ夫人が辿る。当時、辺りには家も人影もなく、車は路肩に止まっていたという。サタ夫人が沢田から受けた最後の手紙には「米国本社社員と同じ条件で保障をするよう求めた」と書かれていたものの、この要求は果たされないまま12年が経過した。サタさんは事件現場に手を合わせ、「運命だと思います。彼自身は好きな仕事に一生を掛けたということで満足だったと思う」と話した。沢田の夢だった写真集が発行されることはなかったが、彼の写真は今もベトナムで歴史を語り続けている。

2017年6月25日放送 12:15 - 13:00 NHK総合NHKのど自慢(オープニング)
今日は青森県 青森市からお送りする。小田切千が挨拶し、ゲストの細川たかしと原田悠里を紹介。青森市のシンボルは青函連絡船。かつて青森駅と函館駅を結んでいた鉄道連絡船だった。自慢は地元の海で穫れる美味しい魚たち。

2017年6月22日放送 13:55 - 15:50 TBSゴゴスマ〜GOGO!Smile!〜(ニュース)
きのう午後8時ごろ、森友学園の籠池前理事長が昭恵夫人が経営する居酒屋を訪問。寄付でいただいた100万円を返そうと思ったと説明。しかし、取り次ぎも断られた。昭恵夫人は寄付していないと言うがもらっているからなどとコメントしている。籠池氏が次に向かったのは安倍総理の自宅。しかし、ここでも面会できず、直にいただいたんだから直にお返しするのが筋などとコメントしている。鈴木さんは「加計学園の問題が出てきてたことで森友学園問題は捜査に委ねて表向きには取り上げられなくなる可能性がある。籠池さんとしてはアクションを起こすことで終わってないとアピールしたかったのでは」、深澤さんは「森友学園に問題があったのは事実。そこまで問題のある学校に不思議な値引きや認可があって、それが一つも解決していない。籠池さんは被害者でもあり加害者でもある」、石塚さんは「自分はウソをついていないことをアピールしたくて仕方ない。100万円は寄付してないというが間違いなくもらったというパフォーマンスとしては見事」、田中さんは「昭恵夫人はなぜ名誉校長になったのか、なぜ辞めたのか、100万円についても何かコメントをいただくのが一番」などと話した。
安倍夫妻は寄付への関与を否定していて、鈴木さんはみんなが同じ土俵に上がって全員、証人喚問でやるのが良いと話した。一方で持参した現金に偽物ではないかという疑惑も出ていて、過去には青森市の農協で偽の札束にすり替えた着服事件が発生し、偽札に3年間気付かなかった事例もある。

2017年6月21日放送 15:50 - 19:00 TBSNスタトクする!3コマニュース
回転力がすごい。12回もの回転をした。大川さんは、高い技術と表現力を兼ね備えたダンサーだ。カーテンコールもおきた。大川さんの地元青森市のバレエ教室では、恩師の桜庭さんが、青森を代表するようなダンサーになってほしいと語った。後輩たちは、すごく憧れているという。男性ジュニア部門ソロでは、千野円句さんが、1位となった。日本人入賞者は3人となった。千野さんのお父さんはロシア人。現在ボリショイ・バレエ学校に所属している。千野さんは、舞台に出てたくさん踊りたいと語った。

2017年6月21日放送 15:50 - 19:00 日本テレビnews every.カルスポっ!
バレエ界で世界的権威のあるロシアのモスクワ国際バレエコンクールの授賞式が日本時間の今日行われた。シニア部門男性の部デュエットでは青森市出身大川航矢さん。大川さんとペアを組んだ大阪・豊中市出身の寺田翠さんは女性の部で銅賞に選ばれた。2人は約7年間パートナーとして踊っていて、所属しているロシアの劇場でもペアを組んで活躍している。ジュニア部門男性の部ソロではモスクワ出身の千野円句さんが金賞を受賞。このコンクールでシニア部門とジュニア部門で日本人が同時に金賞となったのは初めて。

© 2009-2017 WireAction, Inc. All Rights Reserved.Powered by FUJISOFT Inc.