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「NHK紅白歌合戦」 に関するテレビ情報

2017年5月13日放送 19:00 - 20:54 日本テレビ
のどじまんザ!ワールド のどじまんTHEワールド!

インド代表初出場のニーラジャ・スンダー・ラージャンは大学生で歌舞伎に熱中している。初来日で歌舞伎座を訪れた。選曲はEvery Little Thing「Time goes by」。 第49回NHK紅白歌合戦で歌われた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2017年7月27日放送 2:07 - 3:07 TBSSKE48ドキュメント ゼロポジ公演の舞台裏(ゼロポジ公演の舞台裏)
SKE48は名古屋を拠点にして結成9年目を迎えるAKB48の姉妹グループ。SKE48は紅白歌合戦の出場やナゴヤドームでの単独コンサートを行ってきた。ただ姉妹グループは増えて、創世時期を支えたメンバーの卒業があり、テレビ番組の出演も少なくなってきた。ネット上では批判的な声もある。それでもがむしゃらに走ってきた。こうした中で、2017年に「革命の丘」を発売してから革命が始まった。今年のシングル選抜総選挙では選抜メンバーに5人がランクインした。そして7月19日にシングル「意外にマンゴー」をリリースした。センターになったのは15歳の小畑優奈だった。さらにメンバー全員でライブをすることが決まった。

2017年7月24日放送 15:50 - 19:00 TBSNスタトクする!3コマニュース
東京五輪音頭-2020-は石川さゆりさん、加山雄三さん、竹原ピストルさんが歌い、CD発売せずネット配信を検討している。大会組織委員会担当者は「東京五輪音頭は大ヒットした。当時のフィーバーにあやかりたい」と話している。東京五輪音頭は約250万枚を売上、歌詞は公募だった。作詞の宮田隆氏は県庁勤務の公務員で地元小学校の校歌や島根県民の歌の作詞も行っていた。作曲の古賀政男氏は日本作曲家協会初代会長で4000曲を発表した。古賀政男氏がローマ五輪視察中に「次は東京ですね」と言われたエピソードがあり、その3年後に宮田隆氏がローマを歌詞に盛り込んだので歌詞採用に一役を買ったと言われている。
代表的なのが三波さんの東京五輪音頭。当時は坂本九さんなど10組の歌手が歌唱するということだった。元々の版権は日本コロムビアにあったが国家的なイベントなので盛り上げるために版権をフリーにした。その結果テイチクの三波春夫ver.だけが大ヒットしてしまった。井上さんは、それはそれで豪華ですねとコメント。東京五輪音頭は1964年に映画化し東京オリンピック開幕1か月前から公開された。祖父の反対にめげず東京オリンピックを目指す水泳選手を描いた青春映画で、三波さんは寿司屋の主人として出演し劇中で曲を歌い更に話題を呼んだ。あまりにヒットしたので1989年の紅白では本人が歌唱。1963年では番組中に歌唱、視聴率は紅白史上最高の81.4%を記録した。萩谷さんは、この中で一番高齢の私でさえまだ生まれていない。通しで聞きたいと思ったと話した。ホランさんは、ちょっと聞いただけでも覚えてるなどと話した。

2017年7月24日放送 8:00 - 9:55 TBSビビット(ニュース)
昭和のヒットメーカーにして、日本歌謡界の父とも謳われた平尾昌晃さんが亡くなった。79歳だった。息子で歌手・タレントとして活動する平尾勇気さんは、父について「きのうも父の実家にいたが、まだそのままのものが残っていて何一つ動いていなかった。たぶん父も帰ってきたかったんだなと思う」「平尾昌晃という人間を応援してくださった日本全国の皆さまに本当に感謝しています」と複雑な胸の内を明かした。勇気さんは地方での仕事を抱えていたため、父の今際により添えなかったという。
平尾昌晃さんの人生を名曲と共に振り返った。東京・新宿生まれで5人兄弟の末っ子だった平尾さんは1958年に歌手デビューし、1966年に作曲家に転身。ロカビリーや演歌、アニメソング、時代劇「必殺仕事人」のテーマソングに至るまで幅広い分野で名曲を生み出した。また1974年には平尾昌晃音楽学校を立ち上げ、松田聖子さんら多くの有名歌手を輩出。翌年には「白ばらの人」をはじめとした宝塚歌劇団「ベルサイユのばら」の劇中歌を手がけた。このほか「平尾昌晃チャリティーゴルフ」を開催したり、2006年のNHK「紅白歌合戦」ではフィナーレを飾る「蛍の光」の指揮をつとめるなど幅広い活躍をした。その一方で家族とは暖かい関係を築き、とくに歌手活動をしている勇気さんに対しては「音楽を作る上では、誰の耳にも残る、覚えやすい、歌いやすい歌を作ることが大切」とアドバイスをすることもあったという。音楽が苦手で劣等感があった幼少期。正月に親戚が集まりクラシックを披露するも平尾少年はいつも影に隠れていた。当時は落語家、野球中継のアナウンサーになりたかったという。ところが、自宅でのパーティーで米軍の将校がくれたジャズのLPに衝撃を受け、慶応高校1年のときに日本ジャズ学校に入学した。慶応高校の同級生は加山雄三などで、校長はかまやつひろしの父。そして20歳の時にロカビリーバンド3人男を結成し、1週間で4万5000人動員の大人気となった。堀尾正明によると、当時は失神するファンが相次いで、社会問題になったという。ロカビリーバンド3人男の他の2人について、山下敬二郎さんは父は落語家の柳家金語楼さん。ミッキー・カーチスさんはのちに矢沢永吉のキャロルなどをプロデュースしている。1966年、布施明の霧の摩周湖は当初、イメージは夏・海だった。しかし江の島での会議の際に皆で泳ぐことになり、そこで布施さんの水着姿が驚くほど似合わないことに気付き、イメージを湖に急きょ変更した。五木ひろしは、1970年、オーディション番組に出場し見事に10週勝ち抜いたが五木の当時の芸名は三谷謙だった。そこで平尾さんが「これじゃ売れない!」と言ったのがきっかけで改名し大スターになった。瀬戸の花嫁については、1972年、あるとき平尾さんが小柳ルミ子に対し「いくつで結婚したいの?」と聞くと「一生歌手でいたいからお嫁にはいかない」と発言したことから、歌で嫁に出してやろうと瀬戸の花嫁が誕生した。そんな平尾さんが大切にしていたことが「洋楽、邦楽、民謡、童謡、なんでも好き。楽しいものは全部取り入れちゃう」ということ。平尾勇気は「僕が継いで残していきたい」「曲を書いているので聴いてほしかった」などとコメントした。

2017年7月24日放送 6:10 - 8:00 テレビ朝日グッド!モーニング見逃せない ストライク!ニュースまとめ
先週金曜日肺炎のため亡くなった平尾昌晃さんは2年前から肺がんを患っていた。今年5月に息苦しいと体調不良を訴え都内の病院に入院していた。ミッキー・カーチスさんは「オレとは違う才能を持っていた奴だったね。本当に寂しいよ」などとコメントしている。平尾昌晃さんはリトル・ダーリンでデビューすると和製プレスリーと呼ばれ、ミッキー・カーチスさんや山下敬二郎さんらとともにロカビリー3人男と呼ばれた。1960年半ば平尾さんに病魔が襲う。結核を患い医師から3年間は歌ってはいけないと告げられる。活動休止を余儀なくされるも作曲家としての才能を開花させた。霧の摩周湖が評価され翌年に日本レコード大賞作曲賞を受賞した。1978年当時無名だった五木ひろしさんは平尾昌晃さんが作曲した「よこはま・たそがれ」がヒットし紅白歌合戦に初出場した。また小柳ルミ子さんの歌った瀬戸の花嫁は瀬戸内海のご当地ソングとなった。平尾昌晃さんが活躍できたのは応援してくれた人の優しさのおかげだと話していた。恩返しのため作曲活動に邁進したという。

2017年7月24日放送 5:50 - 8:00 日本テレビZIP!SHOWBIZ 24
作曲家・平尾昌晃が肺炎のため、79歳で死去していたことがわかった。1958年に歌手デビューした平尾はロカビリー三人男として活躍し、1960年代以降は作曲家としても活躍して数多くのヒット曲を送り出した。1978年には畑中葉子とともに紅白歌合戦に出場し、1980年代以降はテレビや舞台音楽を手がけ、2003年には紫綬褒章を受章している。葬儀・告別式は近親者のみで営まれ、後日にお別れの会を開く予定。

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