命の離島へ 母たちの果てなき戦い

2024年6月29日放送 19:34 - 20:12 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 (プロジェクトX 挑戦者たち)

昭和20年、沖縄本島では凄まじい地上戦が展開され市民10万人が死亡した。その被害は戦後も続き、戦闘で破壊された水道施設に代わり川の水を利用したことが原因で結核などの感染症が蔓延。治療を行う医師も戦争で開戦前の3分の1にまで減っていた。看護婦の金城妙子はこうした状況を国立公衆衛生院に直訴し、アメリカの官僚から公衆衛生看護婦制度を提案される。県内に点在する島々に公衆衛生看護婦を駐在させて医療体制を強化するというのがその計画で、金城は現地の女性らに協力を呼びかける。こうして集まった女性らは100人以上に及び、その中にはポリオに侵された子どもを持つ与那覇しづや赤子を1人でも多く救いたいと教師の職を辞した山城ヒロ子がいた。金城を手本に女性たちは感染症を防ぐ手段を学び、昭和29年には離島への駐在が開始された。山城は西表島の駐在所を拠点に活動を始め、与那国島では与那覇しづが住み込みで活動した。しかし、与那覇は結核患者の診療に訪れた際に患者の家族から「感染がばれれば爪弾きにされてしまう」と診察を拒否されるという事態に直面する。
昭和31年、与那覇は近所の声を恐れる住民から協力を拒まれ満足に結核の診療を行えない状況が続いていた。障害を抱えた子どもを残して働く無念さに、与那覇は夜になると我が子を抱いて歌を歌ったという。苦悩の末、与那覇は検診道具を持たずに夜半に回るという方法で巡回を続け、ついに診察を受け入れてもらうことに成功。結核を発見するため、与那覇は役所にかけあいレントゲンの機械を導入して検診を行うことにした。こうした活動が功を奏し、検診には島民1300人が訪れた。
金城のもとにはこうした苦闘の声が殺到していた。西表島の山城は密林を歩いては妊婦の処置やへその緒の処置を行い、500人以上の子どもを取り上げる。山城自身も子どもを設けたが、出産直後から働きに出た山城は我が子を急性肺炎で失ってしまう。そして、与那国島では与那覇が新たに判明した結核患者の治療や対応に奔走。そんな母の姿に、与那覇の子どもたちは自ら食事を作るようになった。しかし、そんな矢先に沖縄の本土復帰が決まり、日本政府は公衆衛生看護婦制度の撤廃を検討し始めていた。
昭和46年、公衆衛生看護婦制度の廃止を聞いた金城は日本政府に沖縄の現状を伝えるために奔走する。西表島では山城が異常分娩や未熟児の死産に悩んでいたが、島民たちが妊婦の搬送に協力を申し出た。与那国島では与那覇が戦中に看護師として働いていた仲本トミの協力を得て医療体制を強化し、大けがや重病への対応を続けていた。こうした実態を目の当たりにした金城は沖縄に来訪していた国会議員に陳情を行い、この運動は沖縄全体へと拡大していく。本土復帰半年前、この声は政府に届き公衆衛生看護婦制度は存続が決まった。存続後も与那覇は与那国島で活動を続け、昭和57年には待望の医師が島に訪れた。医療のために活動を続ける与那覇の姿に、医師は深く感服したという。
リーダーの金城は89歳となったが、現在も世界各国から公衆衛生看護婦制度の導入を目指す看護婦が教えを請いにやってくる。島の医療に半生をかけた与那覇の子どもたちは皆無事に育ち、麻痺を抱えていた末っ子はアメリカで医師となった。


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