新美の巨人たち 新美の巨人たち
田中一村は47歳でスケッチ旅行を行った。九州や四国のあたたかい風土に魅力を感じたのか、さらに日本の南端を目指し縁もゆかりも無い奄美大島への移住を行った。その時50歳。それまでの人生を決別するための決断だった。あやまる岬は一村がスケッチに訪れた場所。奄美は驚きと発見に満ちていたという。みたことのない植物や造形の色彩に夢中になって筆を走らせた。喜ぶと感動を胸に、さらなる飛躍を誓った。5年間働いてお金を貯め3年は絵画に専念。そして最高の到達点である絵を描くとした。また住居は節約のために隙間だらけのあばら家暮らしだった。食料は庭で野菜を栽培し自給自足。また仕事は地元で生産する大島紬の糸に着色する擦り込み染めの染色工として働き続けた。その5年後には染色工のしごとをやめて東京の専門店から日本画の顔料や高価な絵絹を購入し絵筆を握った。奄美の郷に棲紅蝶は強烈な生命のほとばしりを鮮やかな岩絵具をふんだんに用いて、見つめ続けた自然の営みに深い愛情と畏怖を込めて奄美と日本画の見事なコラボレーションも。不喰芋と蘇鐵という作品は、その到達点。魔除けの意味をもつクワズイモの花の誕生から終焉までを1枚の絵に収めている。隙間から覗くのは神が通過されると岩の立神。