開運!なんでも鑑定団 (開運!なんでも鑑定団)
画家・山中春雄は中之島洋画研究所で絵を学び19歳の時二科展で初入選を果たす。1940年から4年間満州で兵役に就いたが絵の具箱だけは手放さなかった。戦後は横浜に転居し進駐軍相手に土産用肖像画を描いて糊口を凌いだ。34歳の時、仲間から資金をかき集めてフランス・イタリアに約4ヶ月間遊学。ベルナール・ビュフェなどの斬新な人物表現を目の当たりにし大きな刺激を受けた。帰国後の1954年に発表した「退屈な二人」の独特な世界観が大きな注目を集めた。山中は縦長に引き伸ばした人物像にこだわりそのモチーフは代名詞となった。描かれている人物の多くは内的な自画像であった。1956年には依頼を受けて絵本の挿絵も担当。1962年11月18日、パトロンであった男性に刺されこの世を去った。