時をかけるテレビ 女たちの太平洋戦争 従軍看護婦・激戦地の記録
ビルマ各地の兵站病院に撤退命令が下り、戦時救護班の看護婦達は20日の行軍の末に軍医や衛生兵とともにチャウチーパウ村に辿り着いた。兵士達は情報漏れを恐れて案内をしてくれた現地の人を殺害したり、食料も徴発した。当時18歳だったパウサさんは日本軍によるミャンマー独立に期待していたが、横暴すぎる日本兵士たちの振る舞いを憎悪した。ビルマ各地の村ではゲリラが組織され、日本軍に蜂起。永井日出子さん、岩本あや子さんらは銃弾が飛び交う中で逃げる中、9人の看護婦が死亡した。
フィリピン・ルソン島ではアメリカ軍による上陸作戦が開始し、日本軍司令部は島北部へと追い詰められた。日本軍兵士にとって生きて捕虜になることは許されず、重症患者ですらその対象だった。奥村モト子さんら看護師は病人の静脈に空気を注射し、殺すように指示を受けた。その後も逃避行は続き、飢餓感や病に苦しむ中で徹底抗戦を強いられた。木村美喜さんは横たわった兵士の死体を埋葬し、川崎啓子さんは気の毒さと情けなさを感じながら遺体から食料を抜き取ったと語った。渡邉民子さん、木下とみよさんも国への忠誠心をかなぐり捨て、自分の命を優先したとコメント。
戦時救護班の業務報告書には誰もが日々の仕事へ邁進する決意を繰り返して記していた。だが戦場では看護婦としてのプライド、人としての尊厳を打ち砕く現実が待っていて、何人もの看護婦が犠牲となったのか確かな記録は残されていない。頼藤ツルさんは戦地での時間は無益で、帰国後の暫くは人の死にも感情移入できなかったという。黒瀬サツ子さんは戦争を止めようとする人がいてくれたら悲劇は起こらなかったと話した。そして西内清子さんは戦後に元患者だったという人と再会しお世話になったと感謝されたが、十分な看護ができなかったと気が咎めて何も言えなかったと語った。
