角野卓造〜夢と信念に生きた家族たち〜

2023年11月14日放送 23:51 - 0:34 NHK総合
ファミリーヒストリー (ファミリーヒストリー)

最初は父方の角野家の足跡をたどるために広島県呉市で取材。そこで角野家の先祖は網元だったということがわかった。そこで当時同じ網元だった先祖を持つ呉市町の新原芳明さんに、当時の網元について話を聞いた。ただ呉市にはその後、海軍が来たので、角野家は呉市の川原石に移住する。そこで曽祖父の角野千代蔵は複数の漁船を所有する網元をしていたという。角野卓造の父の角野卓男は学校卒業後に早稲田専門学校へ入学するために東京にやってきたが除籍になり、中央大学にその後入った。そんな角野卓男は五・一五事件の三上卓と接点があったようだと伝えた。
東京は昭和19年頃から大規模な空襲に遭うことになり、角野卓男は近所の人を助けて避難したという。そうした避難した人の中には角野卓造の母である梅田雅子もいた。昭和20年に2人は結婚したという。スタジオでは、角野卓造の祖先をたどると網元だったと話題になった。
次は母方の梅田家の歴史を取材。曽祖父の梅田欽造は徳川家達に雇われていたようだと伝えてた。そんな梅田欽造の子どもが角野卓造の祖父になる梅田薫だ。梅田薫は新潟大学の医学部に進学し、青木千歳と出会って結婚したという。そんな2人の長女が梅田雅子だという。梅田家は医師の家ということもあり疎開せずに過ごし、そんな一家を助けたのが角野卓男だった。2人は結婚し、夫婦は広島県呉市に移り住むことになったという。
海軍の拠点だった呉市は度重なる空襲で荒れ果てていた。角野卓男は実家の海運業の仕事を切り盛りしながら広島県議会選挙に出馬し当選したという。そして昭和23年8月10日に角野卓造が誕生した。ただ2期目の選挙で落ちてしまい大阪に移り住んだという。スタジオでは「徳川家の家来だったという話は聞いたことがある」と角野卓造は語った。
大阪にやってきた角野家は瓦町で喫茶店をやることになったという。店は母が切り盛りし、角野卓男は小さな会社を立ち上げてコーヒー豆の焙煎などをやったという。その後は一家で東京に出てきた。角野卓造は中学生の頃から芝居に夢中になり、俳優になることを決意し、文学座に合格した。その後、角野卓造はテレビドラマにも出るようになったという。スタジオでは「父は役者になることに反対だった」と角野卓造は語った。
角野卓男は俳優になった息子を応援するようになり、ひとり暮らしをする角野卓造のアパートを時々訪れるようになったという。大人になって一緒に酒を飲むようになったと角野卓造は語った。そして75歳で角野卓男は死去した。角野卓造は父について「思春期の頃は嫌いだったが、大人になると父が歩んできた道がわかるようになった」と語った。また「親父を少し尊敬するようになった」と角野卓造は語った。


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