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ダイエー碑文谷店はもともとスーパーとしての営業ではなくボーリング場として建設予定だった。しかし、ブームがさったためダイエーの中内さんが引き受けた。図にてダイエーと周囲の建物との位置関係を説明。裏側にもサイクル館という別館が建てられていた。また、ダイエーが開業する前からすぐ近くに店を構えていた焼き鳥店「鳥新」は今後も営業を続けていくという。ここの店長は今はサングラスだが昔は水中メガネを着けていたという。
碑文谷店は日本初の消費者の購買目的別に売り場を分類した店舗で、その後のスーパー・百貨店の売り場のモデルとなった。ピーク時には全国初となるスーパー単店舗の年間売上高200億円超を達成した。このころは、山陽新幹線が開業したり、宝塚歌劇団でベルサイユのバラが人気をはくしていた。閉店について世間からは、「天気がいい日はエレベータから東京タワーが見えた。さみしい。」、「都会の世界つになれなくてダイエードムドムで泣きながら語ったりもした」などの意見があった。伊勢谷友介さんは、「小学校3年の頃から見続けた。地元人の要望は私が集めます。」とコメントしていた。
インタビュー中にあがってきたダイエー碑文谷店でみかけた芸能人を紹介。三谷幸喜さんがジャージ姿で買い物をしていたり、カブトムシと会話している哀川翔さんなどがいたという。吉田拓郎さんもダイエーをよく利用していたそうで、歌の「Y」にもダイエーが歌詞の中に入っていた。吉田さんのファンの間でもダイエー碑文谷店は聖地だったという。専門家によると、日常を作り上げるのがスーパー、今冬オープンするイオンスタイルに期待するよう話していたとのこと。