- 出演者
- 美輪明宏 村上信五(関ジャニ∞) 須黒清華 宮崎哲弥 丸山隆平(関ジャニ∞) 安田章大(関ジャニ∞) 平子祐希(アルコ&ピース) 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 酒井健太(アルコ&ピース) 久本雅美 SUGIZO(LUNA SEA) 井上瑞稀(HiHi Jets)
久本雅美ら出演者によるオープニングトーク。久本雅美は「(夜9時に衝撃音がした日、首根っこを何者かに掴まれたと思ったが)振り返ったら、ブランドのヒモがパーカーのね、ここに引っかかっていた」「死んだと思ったから」などと話した。
オープニング映像。
テレ東音楽祭2023夏に出演するSUGIZOに8つの質問を行う。最近、感動したことは先日のLUNA SEAのライブ。愛車が水素自動車なのは、水素社会に興味があったから。SUGIZOは水素社会の実現に奔走し、環境大臣から表彰された。水素コンロはG7広島サミットに出展された。フィッシュレザーの素材は食用に処理された魚の廃品。SUGIZOにとっての贅沢な時間は、旅行。ナイトルーティンは、アルコールを飲んで読書をすること。コンビニでよく買う物は、水とバナナ。仲の良い芸能人はパックン、山崎直子。SUGIZOは大の宇宙好き。若気の至りは、酔っ払っての乱闘など。
「衝撃事故編」として、「中国で撮影された、スクーターが濡れた路面でスリップして、運転手がトラックにひかれかけた映像」などを紹介した。
「意表を突く編」として、「中国で撮影された、スクーターが濡れた路面でスリップして、運転手がトラックにひかれかけた映像」などを紹介した。
「マヌケ編」として、「アメリカで撮影された、夫が妻にイタズラを仕掛けたところ、妻が掃除機でテレビ画面を割った映像」などを紹介した。
「激カワ動物編」として、「アメリカで撮影された、子犬に芸を教えていたところ、他の犬が芸を行い、猛アピールした映像」などを紹介した。
「激カワ子ども編」として、「カナダで撮影された、男の子が話しかけた言葉をオウム返しする玩具に驚いた映像」などを紹介した。
藤森慎吾ら出演者によるスタジオトーク。藤森慎吾は「(母親がムロツヨシに見合い話をしたように関ジャニ∞のメンバーにも)うちの母親から見合い話来るかも」などと話した。
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- ムロツヨシ
「激カワ子ども編」として、「イギリスで撮影された、女の子が自分の影の存在を初めて知って驚いた映像」などを紹介した。
ビデオデッキの普及台数は最盛期、全世界で9億台。VHSのライバルはSONYが発売したベータマックスで、「昭和枯れすすき」が大ヒットした1975年に発売開始。しかし、価格の安さなどからVHSが圧倒的な支持を受けるようになった。また、1980年代、レンタルビデオ店が大ブームになり、作品数の取り扱いがVHSの方が圧倒的に多く、VHSのデッキを購入する家庭が急増。2002年、ベータデッキの生産が終了。なお、ビデオデッキには頭出しやスッキップの機能が付いていない製品もあり、目当ての場面を出すために巻戻し早送りを繰り返していた。VHSには3倍録画の機能もあり、ツメを折ることで上書きを防止できた。一方、セロハンテープを貼ると再び上書きが可能になる。
カセットテープは1990年代にMDに移行し、今はスマホで音楽を聴く時代になった。昭和の時代は、音楽番組を放送しているテレビに、ケセットデッキを近づけて録音していたが、家族の声が入って台無しになることもあった。テープは3種類あり値段も異なった。音質の良さはノーマル(普通)、ハイポジション(良い)、メタル(かなり良い)で、オリジナルのベストアルバムを各々が作成し、ドライブの時に流したり誕生日プレゼントで渡したりしていた。
テレ東音楽祭2023夏~思わず歌いたくなる!最強ヒットソング100連発~の番組宣伝。
藤森慎吾ら出演者によるスタジオトーク。藤森慎吾は「(有線の時はイヤホンを2人で分ける時、近かったが)ワイヤレスだから距離も取れちゃうし」などと話した。昭和の時代、カセットテープを有線のイヤホンで聴いていたが、令和ではスマホをワイヤレスイヤホンで聴く。
昭和の時代、電話料金が距離により変わり、遠くなるほど高額になった。話す内容は用件だけで、用件が済んだらすぐ電話を切っていた。固定電話は今でも距離に応じて値段が異なるが、令和世代にとってはLINEの無料通話が当たり前。
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昭和の時代、インパクトの強いCMが多かった。八名信夫が出演したキューサイのCMは、八名信夫のアドリブで、このCMにより青汁の健康食品としての知名度が急上昇した。また、サントリーオールドの空き瓶に別の酒を入れて再利用したり、服を着せて飾ったりしていた。大原麗子は「すこし愛して、ながく愛して」の文言のあるサントリーレッドのCMに出演していた。
昭和の時代、水枕を冷やして寝るのが定番だった。水枕は明治31年に登場し、昭和の時代はどの家庭にもあった。1980年代、ジェル状の保冷剤が登場。現在、冷却ジェルシートなどが登場し、水枕のある家庭は減っていった。風邪をひいた時、桃の缶詰を食べさせてもらっていた。急に子どもが体調を崩しても、缶詰ならすぐに食べさせられるため、桃の缶詰を食べさせる家庭が多かった。その後、フルーツが安価で手に入るようになり、ゼリーやヨーグルトなどが普及したことで、桃の缶詰は定番ではなくなっていった。