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オープニング映像。父はフィリピンのレジェンドバンドマン、消息不明のバンドメンバー探し、親子で37年ぶりのフィリピンへ。ノンスタ石田が今も恐れる恐怖のカミナリ親父、30年ぶりの親子キャッチボールで当時の本音を聞く。
番組名の「コドナ」は「大人になった子ども」。すっかり大人になった子どもがサプライズでいきなり親孝行する番組だと説明した。
親孝行したいことを街の人に聞いた。大阪・ミナミのキャバレーで働くリッチェルさん(44)の父・ダンさんはフィリピンのバンド「ディスコネクション」のギタリストとして活躍。日本のホールで出会った律子さんに一目惚れし、フィリピンで娘・リッチェルさんが誕生した。ダンさんはリッチェルさんが3歳の時にバンドを辞めて一家で日本に移住。ダンさんは昼は工場で働き、夜は弾き語りをする日々だったが、2021年に脳梗塞で倒れてギターを弾かなくなってしまったという。リッチェルさんが消息不明のバンドメンバーを探して親孝行するため、37年ぶりに生まれ故郷のフィリピンを訪れた。最初に訪れたのはケソンシティに住む伯父・ジニーさん。ジニーさんの家は幼い時に住んでいた実家だった。ジニーさんもバンドをやっていて兄弟で沖縄にツアーしたこともあるという。バンドメンバーに関する情報は得られなかったので、アメリカに住む元メンバー・レオンさんにリモートで話を聞いた。メンバーの消息は分からなかったが、バンドは「NICE」という店で活動し、「フリクションズ」とよく共演していたとの手がかりを得たので、リッチェルさんは街で聞き込みした。出会ったのは国際的に活動するフィリピン出身のジャズシンガー・ロアーナさん。日本語が話せて父の知り合いだったが、バンドの情報は得られなかった。その後も帰国ギリギリまでメンバーを探した。帰国したリッチェルさんが父ダンさんにフィリピン行きをサプライズ発表。ギターを取り出したダンさんが「とんぼ」(長渕剛)を歌ってくれた。
リッチェルさんが父ダンさんを連れてフィリピンへ。長男アランさん(リッチェルさんの異母兄)の自宅を訪れると孫たちが出迎えてくれた。リッチェルさんが用意した最初のサプライズは「孫たちと初めての食事会」。孫たちはピアノやギターを弾き始め、いつの間にか音楽会になった。「いとしのエリー」はフィリピンで有名な日本ソング。タガログ語でカヴァーもされているという。
ダンさんと海を訪れたリッチェルさんが父への想いを語った。父親がすごい人なのに周りに理解してもらえなくて悔しかったなどと語った。
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フィリピン最終日に訪れたのはミュージックBAR。アランさんが集めてくれた親戚40名が出迎えてくれた。一緒にバンドをやっていたレオンさんがアメリカから駆けつけてくれた。2人の演奏に合わせて、リッチェルさん&アランさんが「Greatest Love Of All」を歌った。
リッチェルさんの親孝行VTRが終わってスタジオトーク。フィリピンの人たちは家族の絆が強いなどと語り合った。ノンスタ石田は兄貴のLINEが変わっていたと明かした。松井ケムリの父親は大和証券の副会長。芸人になりたいと言ったら「AIにできない仕事だからいいんじゃない」と言われたという。石田の父はとにかく恐い人だったという。
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NON STYLE・石田明はコンビ結成25周年の節目に今まで言えなかった感謝を父に伝えたいという。約30年ぶりのキャッチボールで感謝を伝えるため、お揃いのグローブを購入。父を大阪・淀川の河川敷に呼び出した。
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NON STYLE・石田明が父・信行さんとキャッチボール。父は借金返済のため、早朝から深夜まで働き詰めの日々だったことが分かった。母・みや子さんも現れ、家族だんらんを楽しんだ。石田は事前取材で「オトンが屈強な外国人と喧嘩して血まみれで帰ってきた」と母が話していたと語ったので、その件を聞いてみた。20歳ぐらいの時に万博(1970年)で働いていて、外国人にちょっかいをかけたという。石田が恐いと話していた光沢のある紫のスーツは母がカッコ良いと思って購入したことが判明した。
松井ケムリは(恩返しとして)両親をフィリピンに連れていきますと語った。
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