- 出演者
- 山崎育三郎 井桁弘恵 野口聡一
今回のゲストは宇宙飛行士・野口聡一さん。2005年、スペースシャトル「ディスカバリー号」で1度目の宇宙へ。2009年、2度目の宇宙へ、約5ヶ月半に渡って任務を全うした。2020年には3度目の宇宙へ、船外活動において15年214日と歴代一のブランクを経てミッションを行い日本人最年長55歳での挑戦だった。2022年、26年在籍したJAXAを退職。
- キーワード
- ディスカバリー号宇宙航空研究開発機構
オープニング映像。
ゲスト・野口聡一さんが登場。本日のファッションは野山が好きなアウトドアスタイル。
12時、横浜を訪れ子どもたちと夢を語る講演会が行われた。応募者は700人以上。14時からトークショーが開始し、子どもたち1人1人に向き合う姿があった。その後は再び、宇宙関連メーカーのアドバイザーの仕事へ。イベント終了後、野口さんはMCに今の夢はなんですか?と質問した。井桁弘恵はおしゃれクリップをずっと続けること、山崎育三郎は日本のオリジナルミュージカルで子どもたちが参加できてミュージカルスターになっていく場所を作ることと答えた。
- キーワード
- 宇宙航空研究開発機構横浜(神奈川)
今回は野口聡一さんに質問のある子どもたちが集まった。歴史が大好きなりんたろう君が聞きたいことは「ウーチューブでカレーとか持っていった。他に持っていって美味しかったのは?」。野口さんは「毎回自分のリクエストでこういうの持っていきたいとお願いして持っていっている。ラーメンは宇宙に持っていけなかった。NASAはダメといったが、日本のメーカーと一緒に工夫して宇宙食専用のラーメンを作った。ラーメンは印象に残っている」などと答えた。みおちゃんは「夏は暑いけど宇宙も夏は暑い?」と質問した。野口さんは「宇宙に行くと1日で北極から南極近くまで行く。同じような温度条件になる」などと答えた。さらに育三郎が「宇宙船の外に出たときはどういう感じ?」と質問した。野口さんは「太陽が当たる昼間はプラス150℃。地球の裏側にくるとマイナス120℃」などと答えた。続いて男の子からの質問「ブラックホールはある?」に対し野口さんは「広い宇宙の中では結構あるもの。ある程度重さが大きくなった星は最後ブラックホールになる」と答えた。男の子からの質問「宇宙飛行士はどのぐらい稼げる?」に対し野口さんは「国が選んだ科学者の人たちと同じ給料」などと答えた。井桁は「野口さんの性格を客観的見るとご自身はどんな性格ですか?その性格は仕事にどう影響した?」。野口さんは「実はあれこれ考え悩むタイプ。この仕事についてから強制的に自分は楽観的なんだと思うようにしている」などと答えた。
宇宙ホテルをイメージした野口聡一さんの理想の空間にチェンジ。初めて宇宙に行った時、野口さんは「本当の地球は太陽の恵み」などと答えた。歌手・平原綾香さんが登場。15年来の友人だという。きっかけは土井隆雄さんの応援歌として「星つむぎの歌」を作り打ち上げに呼んでもらい出迎えてくれたのが野口聡一さんだった。2人の交流は宇宙規模でも行われ、宇宙から野口聡一が電話をかけてくれたという。宇宙飛行士を目指したのは高校生のとき。野口聡一が高校1年生のとき1981年にスペースシャトルが初の打ち上げを行い「こういう仕事もアリかな」と思ったという。野口さんは宇宙に関する勉強をしていれば近い世界には行けると思い大学院修了後、超高速旅客機のエンジン開発に従事していた。さらに大切なコレクションを持参。
野口聡一の初宇宙。当時、一番近くにいた人物・西澤さん。宇宙飛行士訓練インストラクターとしてロボットアームを扱うための訓練などを提供。野口さんは寂しがり屋だという。和やかな雰囲気は一変し、打ち上げ直前になると緊張感が漂う。最初のフライトはコロンビア号事故の後だった。事故から2年後、2005年に宇宙へ行きミッションを達成したときは西澤さんは感動したという。55歳の宇宙滞在中、西澤さんを気にかけていた野口さん。野口さんは「申し訳なかったと思った。気がついていないところで追い込まれていたと思う」などと語った。さらに初飛行前に家族と話したかについて野口さんは「事故で同級生が亡くなったこともあるが、同級生の子どもの世代も一緒。同級生のお父さんが亡くなった事故でもある。子どもたちからすると自分の親が巻き込まれる可能性もある。葛藤は間違いなくあったと思う。もし子どもたちが行かないでと言ったら宇宙に行っていなかった。そこで僕のキャリアはおしまい」などと語った。
- キーワード
- コロンビア号
「おしゃれクリップ」の次回予告。
「おしゃれクリップ」の次回予告。
TVer、Huluで配信!詳しくは番組HPへ。
CODE-願いの代償-の番組宣伝。
月曜から夜ふかしの番組宣伝。