- 出演者
- 鈴木京香
オープニング映像。
東日本大震災から13年、亡くなった方、行方の分からない方は2万2000人以上となる。こころフォトでは写真と家族のメッセージを紹介してきた。今年は能登半島地震で被災された方々へ思いを寄せる声も数多く届いた。
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- こころフォト~忘れない~HP東日本大震災
柳川幸江さんから母と弟へのメッセージを紹介した。
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- 柳川幸江
福島・いわき市に暮らす鈴木貴さんと妻・美起子さん。亡き娘に代わって義援金を送った。娘の姫花ちゃんは10歳の時に東日本大震災で亡くなった。姫花ちゃんが描いた絵をプリントしたハンカチ。灯台の上で楽しそうに手をふる人たち。故郷の風景が鮮やかな色使いで描かれている。このハンカチの売上から義援金が贈られた。絵のモチーフになったのは塩屋埼灯台。貴さんと姫花ちゃんはよくここで貝殻拾いや砂遊びをしていたという。震災から13年、鈴木家の食卓では必ず姫花ちゃんの分も用意している。震災の日、姫花ちゃんはよく立ち寄っていた祖母の家にいた。地震が起き車で駆けつけたが2人を助けることができなかった。震災から4か月後、姫花ちゃんの絵をみたデザイナーから、ハンカチにしませんかと提案があったという。ハンカチは灯台近くの土産物店に置かれ、この12年で1万3000枚以上が売れた。350万円の収益は復興と災害維持の支援に役立てられている。姫花ちゃんの絵を気に入りその夢を応援する人たちの思いが広がっていった。1月、能登半島地震が起きた。鈴木貴さんは「家族を失われた方のインタビューを見てるといたたまれない」などと話した。鈴木貴さんは今年、防災士の勉強を学び始めた。
18歳の武山ひなさんは震災で母と弟を亡くした。祖母・千葉淑子さんは高校卒業を1つの目標に、ひなさんを支えてきた。2016年、ひなさんが10歳の時の映像を紹介した。母・直美さんと弟の季楽くんは津波で亡くなった。直美さんが書いていた日記には、ひなさんが成長する喜びが綴られてた。淑子さんは長年務めた仕事を辞め、夫・信雄さんと共にひなさんを育ててきた。ひなさんは淋しい素振りを見せなかったという。中学生になると吹奏楽に熱中。勉強も頑張り高校は地元の進学校に。しかし2年生の時に、頭痛や目眩、原因不明の体調不良で学校に行けない日が増えた。3年生に成、少しずつ学校に通えるようになったひなさん。支えになった場所は保健室だった。ここで養護教諭から励ましの言葉をかけてもらったという。ひなさんは養護教諭になるのが夢となった。養護教諭になるために挑んだ大学受験。面接試験でひなさんが語ったのは、母と弟を失った日から胸に閉じ込めてきた思いだった。ひなさんは見事、大学に合格。3月1日、卒業式の日、高校生活の最後に口にしたのは祖父母への思いだった。
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