- 出演者
- 吉田類 菖蒲理乃
最初の舞台は御坂山地。富士山から20キロほどの距離にある山並みは古くから富士を望む絶好の展望所として知られてきた。葛飾北斎の赤富士は御坂山地から描かれたと言われている。今回は吉田と菖蒲理乃が百低山を歩く。
創業90年の天下茶屋は太宰治ゆかりの茶屋。昭和13年に井伏鱒二の勧めで2か月間、茶屋の一室に滞在した。当時29歳の太宰は自殺未遂を繰り返すなどドン底の生活を送っていた。富嶽百景は茶屋での滞在をモチーフに描かれて「富士には月見草がよく似合ふ」という言葉を残している。
三ツ峠山までおよそ3時間。太宰と井伏も三ッ峠山を登っており、菖蒲も当時の服装を体験。中腹には八十八の弘法大師が祀られた八十八大師がある。三ツ峠山荘の名物はテラスからの富士山の眺め。三ツ峠山荘3代目・中村さんが富士山の魅力を伝えた。大きな富士と対峙するように咲く月見草。太宰はそこに立ち直ろうとする自分の姿を重ねたのかもしれない。三ツ峠山山頂に到着した2人は太宰が愛した酒やほうとう鍋を堪能した。吉田は「頂きの 夏雲割りて 開眼す」の句を残した。
ふるさと富士山と呼ばれる山は全国に300山以上もある。東京・八丈島にも富士山と呼ばれる山がある。吉田と菖蒲は八丈富士を目指す。1280の階段を上り約30分、2人はカキランやアシタバの自然に癒やされた。最後の噴火から400年以上、黒潮がもたらす温暖化質な気候に育まれ緑の火口が作られた。
標高差30mを下り火口の底に到着。八丈富士の度重なる噴火によって生まれた驚異の絶景を体験した。古びた鳥居の先には玉石が祀られており、七五三のような風習は今も島民に受け継がれている。ほこらにはコノハナサクヤヒメが祀られている。島の歴史に詳しい菊池が流人の歴史などを紹介。流人の中には宇喜多秀家もいる。八丈実記を書いた近藤富蔵の父は目黒新富士を築造した人物。富士をきっかけに流罪となった富蔵は、流罪をとかれたあとも八丈島で過ごしたと言われている。八丈富士山頂に到着した2人は島焼酎や島寿司を堪能した。吉田は「絶海の青葉の魔境 口を開く」の句を残した。
神奈川県三浦半島に富士山と呼ばれる低山がある。標高は182.8m。津久井浜駅に到着した吉田と菖蒲は津久井浅間神社で参拝。全長5キロ、2時間の工程で三浦富士山頂を目指す。途中で武山の展望台からの長めを堪能した。三浦半島にはスダジイとコノハナサクヤヒメにまつわる言い伝えがあり、スダジイは神聖なモノされている。砲台山に寄り道した2人は武山防空砲台跡を見学。三浦半島の沿岸部には迎撃用の基地や砲台がいくつも設置された。
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三浦富士の山頂にはつのほこらがあり、津久井浅間神社の奥宮でコノハナサクヤヒメを祀っている。三浦富士の歴史に詳しい佐藤さんが富士講の存在などを紹介。山頂ではお焚き上げが行われ、三浦富士が身近な登拝の場所となっていた。富士講の斉藤さんは当時「富士山は人の行いを見ているから、いかに負けないように善行するか」と語っている。吉田は「遥拝の人影停む 夏木立」の句を残した。下山後に2人は本マグロのかぶと焼きを味わった。
エンディング映像。
