2024年4月22日放送 1:43 - 2:43 TBS

ドキュメンタリー「解放区」
ゆれる〜ママになったあやまん監督〜

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(ドキュメンタリー「解放区」)
ゆれる 〜ママになったあやまん監督〜

2010年1月、六本木界隈でギャラ無しで飲み会を盛り上げる素人集団として突如テレビに現れた“あやまんJAPAN”。ファーストシングル「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」やオリエンタルラジオ藤森慎吾とのコラボも話題になるなど、一躍時代の寵児となった。人生を楽に生きるヒントを探るべくリーダーのあやまん監督に密着した。

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あやまん監督は去年12歳年下の一般男性と結婚。息子のまんたろうくん(仮名)は1歳になったばかり。あやまん監督は今でもあやまんJAPANを続けている。企業のイベントなどに呼ばれ、主に下ネタでその場を盛り上げているという。2014年にあやまんJAPANは株式会社化。お金をもらって日本全国様々な場所に出向いている。年に50本の営業が収入のメインだという。ブレイク時に苦楽を共にした藤森慎吾は「あやまんのブレない信念を尊敬する」と話した。しかし、ブームが下火になったころ初期メンバーの2人が卒業。解散の危機を迎えたが2人の新メンバーが加入した。サムギョプサル和田はあやまん監督にスカウトされ、婚約者に反対されたが婚約破棄して加入したという。新星あやまんJAPANのメンバーは今や全員が一時の母。月に1回のファンイベントは9年間続けているという。ファンイベントが終わるとあやまん監督は急いで息子のお迎えに。このあとも監督の仕事はまだ終わらない。

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夕方、あやまん監督が1歳の息子と一緒に向かった先は、銀座で経営するバー「ぽいぽい」。11年目を迎えるバー経営。芸能で長く食べていけると思っていなかったので生活の足しにと始めたという。あやまん監督は1979年 群馬県前橋市生まれ。幼い頃からパリピで高校生になるとギャルに。Jリーガーと飲みたいという思いからイベントコンパニオンになり、そのチャンスを得たが面白いことも言えず爪痕を残せず落ち込んだという。そんな時に出会った人気者の女性の影響で下ネタを織り交ぜてみんなを楽しませるように。友人や同僚を誘って六本木を夜な夜な飲み歩き、女の子をスカウトしながらあやまんJAPANを作り上げた。最盛期のメンバーは100人、六本木の一大勢力だった。しかし、当時の明るいパフォーマンスの裏で、メンバーはテレビに出たことを思い悩んでいたという。そんな嵐のような日々が過ぎ、2人のメンバーがグループを去った。一人になったあやまん監督は岐路に立たされた。

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初期メンバーがグループを去り、一人になったあやまん監督は人生の帰路に立たされた。その頃に「有吉反省会」に出演したことでSNSで反響がありもうちょっと頑張ろうと思ったという。2013年に新生あやまんJAPANを結成し再出発を果たしたが、同時に結婚・出産も考えるようになり焦りが募った。そして今の夫と出会い、不妊治療前に子宮筋腫の手術をした。その頃は41~42歳。1分1秒でも早い方がいいと医師にも言われ、最初から顕微授精を行った。不妊治療の末に誕生した新たな生命。母になり幸せを手にしたあやまん監督。息子との時間を大切にするために「Bar ぽいぽい」を閉め、仕事をセーブしたいと考えはじめていた。

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母親になったあやまん監督は「下ネタが良くない」という意識からあやまんJAPANをやっていることでの今後の息子への影響を考え、不安になることがあるという。ブレイクから14年、今あやまんJAPANはメンバー2人に加えて、ユースと呼ばれるサポートメンバーが全国各地に50人いる。営業の際には戦力としてパフォーマンスを盛り上げている。その多くは普段は別の仕事をしている女性たち。子どものいるメンバーも多い現在のあやまんJAPAN。オフ会には子どもの姿も見られる。メンバーとファンは家族のように交流している。2023年暮れ、ファンが心待ちにしている忘年会が開かれる。

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あやまん監督がママになってはじめての大忘年会。練習は2か月前から始まった。当日、会場に全国から20人のユースメンバーが集まりリハーサルを行った。この日を楽しみにしていたファンも全国から続々と集まった。

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あやまん監督が揺れながら作ったパフォーマンスはこれまでと変わらないものだった。ママとなって初の大忘年会は大盛況のうちに幕を閉じた。結局、あやまん監督はママになっても下ネタ芸を続けることを選んだ。周りを気にせず好きに生きていると思っていたあやまん監督は誰よりも悩み・もがき、周りを気にして生きていた。「誰かを楽しませたい」という信念のもとで今も活動を続けている。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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