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オープニング映像。
ナオト・インティライミは子ども時代について目立ちたがりやでお山の大将だったが時にクラスに嫌われたと答え辛い体験をしたと答えた。サッカーとの出会いについては園児の頃からサッカー選手になるのが夢だったと答え、ジュニアユースににも所属していたと答えた。そして音楽との出会いについては中学生で本格的に始めたという。その始めてのオリジナルソングは「人間みんな生きている」と答えた。高校時代にはカセットテープに自作曲をいれてリリースしたというが、その後も次々とテープをリリースしたという。人生最初の転機は高校時代に担任と進路相談に臨んだ時、歌手になりたいがその道は険しいはずと相談したという。しかし先生は、やってみないとわからない。それが高い壁ではなく自動ドアかもしれないと言われ、感銘をうけ歌手を目指そうと思ったと答えた。
ナオト・インティライミは高校サッカーを引退したあとに音楽に専念した。その場所を路上にしたという。大学ではそのオリジナル曲を数千枚売ったと答えた。そしてその後ソニーの関係の目に留まり、新人契約を結んだと答えた。その後始めての海外でニューヨークのアポロシアターを観に行ったが、MCをしていた人に盛り上がっていた様子が面白いとステージに上がらせてくれたという。他10人がステージに立ったが、何をしようかと悩んでいた時に即興で歌を歌うとその場が大歓声に包まれたという。そしてファンクミュージックとの出会いについてはその披露したものがファンクのようだと言われ、そこからファンクを勉強し始めたと答え、それからソウルやファンクが好きになったと答えた。
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いよいよデビューするということになったナオト・インティライミだが、無風だったと答え、その静けさに恥ずかしさだけが残ったという。そこから8カ月は引きこもったと答え、自分の才能に疑問をもったために、成長をしようと思ったという。またワールドツアーは人生をかけた夢だったと答え、海外を見たほうが良いと思い立ち、全財産をかき集めて世界一周の旅に出ることにしたという。連絡手段も乏しい時代にひたすら歩いて情報を集めて旅をしていたと答えた。その中で音楽で人々とつながり、日記を膨大に書いたがそれが書籍に繋がったと答えた。
世界一周の旅を通して学んだことにナオト・インティライミはお金がなくなにもない人こそ純粋な目をしていると答え、大変な環境に過ごしている人たちに何かできないかと言う気持ちがモチベーションになっていたという。また、ナオト・インティライミという名前についてはペルーのラジオ番組で伝えたがこれは数日前に考えていた名前だったという。その語源は太陽から来ていると語った。
ナオト・インティライミは世界一周の旅を終えて帰国したが、すぐに売れることはなかったと答えたが、世界一周をしたことでのタフさが身につき、再びライブハウスで地道に音楽活動を続けていたが、その中でMr.Childrenのツアーにコーラスとして参加したという。その後多く人々に聴かれるアーティストになったが、自身がデビューして様々な災害が発生し、常に隣り合わせのようにそれが発生し寄り添っていたと答えた。その後は紅白などのあこがれの歌番組やドームでのライブもでき、夢が叶ったという。しかし、やってやったというような気持ちはなかったと答え、世界の挑戦を今しておくべきだと感じたという。
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その後日本とマイアミの2拠点で生活し、ラテンミュージックの世界に挑んだという。マイアミはラテンミュージックの本場で、世界を目指す時はそこから発信するのが良いと思ったと答え、リリースしていきながら様々な出会いを育んでいきたいと答えた。
コロンビアの首都ボゴタにやってきたナオト・インティライミ。思い出の地を訪れた。さらにコロンビアのレーベルのGlass House Recordsと契約する様子を紹介した。
コロンビアでレコーディングを行っているナオト・インティライミ。並々ならぬ思いを語りコロンビアの人々の前で楽曲を披露した。コロンビアの滞在を終えて充実感でいっぱいだったと答えた。ワールドツアーという夢に向けてインターナショナルなアーティストになりたいと答えた。
エンディング映像。
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