- 出演者
- タモリ 浅野里香
タモリらが奈良県明日香村に登場。のどかな田園風景が広がるこの場所は1400年前飛鳥時代を象徴する重要な舞台だった。旅のお題は「なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?」。日本考古学が専門の相原嘉之さんが登場した。飛鳥は1400年前日本で最初に都が置かれた。100年もの間天皇が住む宮殿が置かれ政治や文化の中心となった。大化の改新の発端となったのが乙巳の変でタモリさんがいるのはまさに事件現場の宮殿跡。
オープニング映像。
タモリさんがやってきたのは乙巳の変が起きた宮殿からおよそ800mの場所・石舞台古墳。もともとは四角い古墳だったと考えられている。タモリさんは石室へ。巨大な石室は蘇我氏が強大な権力を誇っていた証。蘇我氏が石で作ったあるものが日本の国つくりの礎となっていく。
タモリさんが次に向かったのは石舞台古墳から1.5キロの場所にある集落。西田紀子さんが登場。村の中でタモリさんが見つけたのは礎石。お寺の中にもたくさんの礎石。これは日本で始めて礎石が使われた建物の礎石。当時の日本の建物は掘立柱が一般的だった。蘇我氏が礎石を使って建てたのは日本最古の本格的な寺院の飛鳥寺だった。飛鳥大仏は現存する日本最古の仏像。蘇我氏は国づくりに仏教を取り入れようと考えた。飛鳥寺はそのための重要な拠点として作られた。
タモリさんは飛鳥寺の西側へ。飛鳥は周りを山に囲まれた小さな盆地。その入口に飛鳥寺は作られた。その後天皇が住む宮殿が盆地の中に建てられたが蘇我氏のある思惑があった。地形を考えて飛鳥寺で宮殿を守っていた。蘇我氏が用意した飛鳥は国づくりに絶好の場所だった。しかし蘇我氏の栄華は長くは続かず乙巳の変をきっかけに蘇我氏の本家は滅亡してしまう。飛鳥は豪族の時代から天皇の時代へ。この頃即位した斉明天皇も石を利用した国づくりを行った。
斉明天皇の国づくりの痕跡のヒントになるのが村の古い地図に記された地名「水落」。タモリさんが古地図を頼りに歩いた。水落にあったのは不思議な形の遺跡。この礎石は地下に埋められていてその間を3~4個の石でつないでいる。地震のときもずれないよう頑丈に作られていた。日本書紀によると時計が置かれていた場所。斉明天皇の時代に日本で最初の時計・水時計。決まった時間に鐘や太鼓を鳴らして人々に時を知らしたと考えられている。「水落」という字名がついている明治の頃はここに水時計があったことは分かってなかったがのちに水時計が見つかった。新しい国づくりが進められた理由は当時の東アジアのとても不安定な国際情勢だった。
水落の近くの「石神」に斉明天皇の国づくりの痕跡がある。2つの石造物は明治時代にこの田んぼから出土したもの。実物は飛鳥資料館で展示。「石人像」は男性が盃を持っていて後ろから女性が抱きついている。「須弥山石」は仏教世界の中心にそびえるとされる須弥山をモチーフにしたもの。迎賓館に飾られた2つの石造物には噴水の仕組みがあった。石に水が通るような技術をアピールした。石を利用して作ったのは時間を支配する水時計と権力をアピールするための噴水仕掛けの石造物。
タモリさんが田んぼの中に低い列を見つけた。斉明天皇が作った運河の跡。斉明天皇は3万もの人を動員し飛鳥から15キロも離れた場所まで運河を作った。日本書紀によると石を積み石垣をつくったとあり運河は石を運ぶために作った。
タモリさんが向かったのは石垣が発見された山。運河で運ばれた石で作られたのは何重にも石垣を巡らせたこのような山だったのではないかと考えられている。同じ山の上に酒船石がある。両側に割られたような跡があるためもともとはこのような形をしていたのではないかと考えられているが何のためのものなのかは解明されていない。手塚治虫の「三つ目がとおる」の薬をつくった説や松本清張の「火の路」のゾロアスター教の秘儀に関わるもの説などがある。タモリさんは水が流れるのを見て楽しむのかなと予想した。相原さんは占いに使っていて“笹船石”だったのではと考えている。山のふもとでは亀の形をした石が発見され斉明天皇自らが政を行う施設だったのではないかと考えられるようになった。飛鳥時代、人々は石を使いこなすことで日本の国の礎を築いていった。最後にタモリさんが向かったのは飛鳥を一望できる場所。タモリさんは「周ってみて始めて分かる。知ることと分かることは全然違う。飛鳥のイメージが変わりました」などと話した。
エンディング映像。
ブラタモリの番組宣伝。