- 出演者
- 遠藤玲子 徳光和夫 山本浩二
オープニング映像。
徳光和夫と遠藤玲子が挨拶。この番組は昭和野球の名場面や名選手にスポットを当てて放送していこうと思うと語った。そして今回のゲストは元プロ野球選手の山本浩二だと紹介した。
山本浩二が所属していた広島カープは1950年に結成され、初年度の成績は8チーム中最下位だったという。当時、山本浩二は3歳だったという。山本浩二は高校は廿日市高校に通ったが、部員は8人しかいなかったという。プロ野球に行くつもりはなかったが、鶴岡一人が練習を見に来ていて、大学に行ったほうがいいと言われて、そこから法政大学に進んだという。そこで田淵幸一をライバル視していたと山本浩二は語った。
ドラフトでは広島に1位指名を受けたという。この年のドラフト1位は後の監督経験者が6人も出ていたと話題になった。当時の広島では猛練習をしており、バットが手から抜けなかったと山本浩二は語った。
山本浩二は1年目の開幕戦に6番・センターで先発出場したという。スタメンになった理由は強肩だったからだという。星野仙一とは大学時代には打てなかったが、ケンカ投法の裏を読んで攻略していたと語った。また広島では衣笠祥雄と良きライバルだったと語った。
そうした中で雲の上の人である長嶋茂雄から、2年目から3年目くらいのころにバントをしたら長嶋茂雄から「コーちゃん打って打って」と言われたことがあると語った。そんな長嶋茂雄とのエピソードを山本浩二は語った。
広島が初優勝したときのことについて山本浩二に話を聞いた。「初優勝だったので、当時は拝む人もいれば、遺影を持ってきていた人もいた」と山本浩二は語った。ただ弱小球団だったので選手も優勝すると思ってなかったと山本浩二は語った。山本浩二は30代になってからホームランを量産するようになったが、その背景には腰痛があり、打ち方を変えて打てるようになったと語った。
山本浩二は打つ際には投手との駆け引きがあると語り、投手の握りのクセなどをずっと見ていたと語った。牛島和彦との対戦ではフォークボールの掴みなどのクセについて語り、読みにくかったのは江夏豊だと語った。他にも性格なども駆け引きの材料にしていたと山本浩二は語った。
大谷翔平について話題になった。山本浩二は「ピッチングもすごいがバッティングがすごい」と語った。また日本の投手が相手でも打てると山本浩二は語った。
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教え子の新井貴浩監督について話題になった。そこで2年目の采配に期待してる様子が伝えられた。また山本浩二が本塁打27本で引退したことについて話題になった。山本浩二は4番で何度も欠場していたので自分の美学から引退したと語った。最後に山本浩二は「カープのおかげで人生ここまできて幸せです」と語った。
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2024年4月21日(3:15)