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6年前、1人の女性が命を絶った。原発事故の後、福島から逃れていた自主避難者だった。彼女の死後見つかったのはSNSのつぶやきだ。
福島県郡山市は由美さんがかつて暮らしていた町だ。由美さんの夫が匿名で取材に応じた。震災前は仲が良かったという。東京で結婚し2004年に夫の自営業のために福島に戻りマイホームを建てた。その7年後に事故が発生した。原発事故から4ヶ月後、由美さんは娘を連れて自主避難を決意した。こうした自主避難者は約5万人いたと推計されその多くが母親と子どもだけでの非難だった。由美さんは都内にある団地で娘と暮らし始めた。当時の非難生活について、由美さんから話を聞いていたフリージャーナリストの鈴木博喜さんは彼女たちの生活について由美さんはダブルワークをしていたという。月収20万円のうち7万円を貯金していた。由美さんは月に2回夫と息子に会うため夜行バスで郡山に帰っていた。しかし夫婦の衝突は増えていった。避難を初めて1年半、郡山に残っていた息子が高校進学を機に上京し3人で暮らすことになった。
2014年8月、由美さんは事故当時避難指示が出なかった地域に住んでいた親子の裁判に原告として出た。この頃自主避難を続ける人達に世間からは厳しい目が向けられていた。裁判を担当した弁護士は由美さんから気持ちを聞いてた。自分たちの判断が間違っていなかったということを証明したかったというが、その後病気のため原告を降りた。2015年福島県は県内での除染が進んだ ことなどを理由に自主避難者向けの住宅提供を2年後に終えると発表した。しかし転居をしようにも病気で働けなくなっていた由美さんは経済的に追い詰められていた。その時自主避難者を支援する団体の瀬戸さんに助けを求めた。瀬戸さんは住宅の管理団体に由美さんの事情を説明し交渉しその結果3万円ほどの家賃で住み続けられるようになった。しかし2017年4月に由美さんはうつ病になってしまった。由美さんは子どもを自宅に残し施設で療養することになった。そこでの生活を支えていた松本さんも自主避難者だった。そして5月に由美さんはみずから命を絶った。由美さんの死から6年経った今も瀬戸さんは自主避難者の支援を続けている。
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2023年8月7日(23:00)