2023年11月22日放送 2:15 - 3:00 NHK総合

銀嶺の空白地帯に挑む〜カラコルム・シスパーレ〜

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(オープニング)
オープニング

標高7500m。カラコルム山脈のシスパーレの氷壁に挑むクライマーの平出和也さんに密着。

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カラコルム山脈シスパーレ
カラコルム・シスパーレ 銀嶺の空白地帯に挑む
カラコルム・シスパーレ 銀嶺の空白地帯に挑む

アルパインクライマーの平出和也さんと中島健郎さんがカラコルム山脈のシスパーレに挑んだ。2017年7月シスパーレと続く標高4000mのパスー氷河を進んだ。この日、2人はルート偵察を行った。シスパーレを臨む標高5160mの稜線で一泊する。シスパーレの北東壁はだれも登頂したことがなかった。最大の驚異はセラック、いつ崩れ落ち雪崩を引き起こすかわからない。

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アルパインクライマーの平出和也さんはこれまで前人未到の空白地帯を登ってきた。2005年シブリンの北壁、2008年カメットの南東壁など。その功績が評価されて、2009年にピオレドールを日本人で初めて受賞した。平出はもう誰かが登った後では情報があって記録がある登り方が指定されているようだとし、自由に登りたいと話した。登山家の三浦雄一郎さんは平出についてクリエイティブな要素とイマジネーションが優れている現代の天才の1人と評した。シスパーレは22歳の時に旅先で出会った。平出はこれまで3度挑んだが退けられた。1度目は2007年は柔らかい雪、2012年に2度目の悪天候、2013年の3度目はセラックだった。

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アルパインクライマーの平出和也さんと中島健郎さんがカラコルム山脈のシスパーレに挑んだ。2人は偵察後ベースキャンプの帰った。2人のパキスタン人が支える。ディダール・アリーは様々な遠征隊のキッチンを任された。アタックまで束の間の休息となった。2人はルートの検討に入り、挑戦的なルートとなった。1日は雪崩の巣となるためできるだけ岩陰にたどり着く。2日めは短時間で垂直の壁、3日めは最難関となる巨大な岩壁、最終日は酸素が薄く強風が吹く山頂へ向かう。山野井泰史はルートを見て、面白いラインでよく見つけた、セラックが多いため体力が消耗すると話した。出発日は天気を見て決める。日本から衛星電話で天気予報を聞く。登頂には5日晴天が続く必要がある。登坂道具は本当に必要なものだけ、食料は12食分1日500kcalでまかなう計算。天気予報が外れ、出発予定日を3日すぎて悪天候が続く。カラコルムの短い夏が終わろうとしている。ベースキャンプでの停滞6日目、シスパーレは雲の中だった。日本からは荒天が続く予報が届いた。

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アルパインクライマーの平出和也さんはシスパーレに4度目の挑戦、平出は成功させなければいけない。アルパインクライマーの谷口けいさんは10年冒険を共にしたパートナーだった。2人は不可能と言われた未踏ルートを切り拓いた。しかし2015年に北海道で滑落し、帰らぬ人となった。2人の最後の冒険は2013年のシスパーレだった。しかし無念の敗退となった。4度目の挑戦は谷口の夢を成し遂げることでもある。平出は夢を共有できるパートナーになれた、這いつくばってでも登りたいと話した。

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アルパインクライマーの平出和也さんと中島健郎さんがカラコルム山脈のシスパーレに挑んだ。8月18日1日めの課題は雪崩の巣だった、平出は2時間ほどセラックが静かにいてほしいと願った。しかし1時間後に雪崩が迫り、近くの岩陰に急いだ。なんとか突破し、標高5450mで行動を終えた。8月19日、2日めは雪と氷の垂直の壁が立ちはだかる。高度な登坂技術を求められる。中島は登坂技術が高いためルート工作に専念m平出は5kg多く荷物を持ち後方から危険を察知する。壁を登り始め2時間、中島が雪煙に気づいたが逃げる時間がないので急いで道具を設置して体を確保する。出発して9時間、テントを張る予定の岩壁に到着。傾斜がきつくテントを張る場所がなかったため、2人はさらに登った。しかし、天候が悪化し塵雪崩が絶え間なく降り注いだ。15kgの荷物を担ぎ絶壁を登った平出に披露が蓄積していた。300m先にわずかな場所を見つけた。

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アルパインクライマーの平出和也さんと中島健郎さんがカラコルム山脈のシスパーレに挑んだ。8月20日、3日めは最難関が予想される。傾斜が70度の壁を横にトラバースを繰り返した。最難関の岩壁に到達した。標高6500mにはスラブという凹凸のない岩が広がった。アイゼンやピッケルを引っ掛ける場所が限られ全身に緊張を強いられる。優れた登坂技術を持つ中島の腕の見せどころだった。氷が薄くアイススクリューが奥まで入らない。さらに進むと岩肌が露出しアイススクリューが差し込めなかった。しかしここまで来ると戻ることはできない。スラブとの格闘は2時間、中盤に差し掛かったところで5m落ちた。この日の午後も天候は悪化、気温はマイナス13度標高は7000mに迫った。突如降った雪は平出の体力を奪った。午後4時半予定より手前でテントを張った。翌日、雪でテントが埋まっていた。天候は回復せずここで停滞。低地の4割の酸素濃度で、中島に高度障害の症状がでてきた。精神的にも肉体的にも追い詰められた。8月22日、この日山頂に立てなければ敗退の可能性が高い。薄い酸素の中、全身でかき分け登っていく。ラッセルを繰り返し2時間、山頂は果てしなく遠い。尾根を吹き抜ける強い風、極限の世界で平出は不安に押しつぶされそうになった。出発から5時間半、7500mの稜線が出た。先を行く中島の姿が遠のく。平出はこれまでで1番辛い登山だとつぶやいた。平出は3人で登っている感覚が何度もあった、自分がふらふらになっている時に支えてくれたのはけいさんだったのかと思うと振り返った。8月22日午後2時30分、2人はシスパーレ東北壁を登頂。平出は谷口けいさんの写真を埋めた。登頂から2日後、2人はベースキャンプに帰還。平出は流す涙も残っていないとし、中島と抱き合った。体力、技術、亡き仲間への思いを注ぎ込んだ登頂で空白地帯に足跡を残した。

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