2024年12月16日放送 0:55 - 1:50 日本テレビ

NNNドキュメント’24
「アボジが眠る海」

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(NNNドキュメント’24)
アボジが眠る海

長生炭鉱水没事故は太平洋戦争開戦2か月後に起こった。いまだ183人の犠牲者が残されている。地元の市民団体が毎年、追悼式を行っている。30年以上も活動を続けてきた。アジアの国や地域を統治下におき領土と勢力圏を広げた日本。朝鮮半島も支配した。戦時下の労働者不足を補うため挑戦から70万を超える労働者が渡った。工業都市の山口・宇部市の礎となった宇部炭鉱。最盛期には海底炭鉱として全国屈指の生産量を誇った。その1つ長生炭鉱は藪の中。市民団体は藪を切り開き希望者に勉強会を開いている。事故のことを残し伝えるためだ。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会は遺骨を収集し遺族への返還を目標にしている。いずれは水没した公道内に入らないといけない。2015年には専門家に依頼し地下に眠る坑道の入口を探し当てた。長年、市や県、国に対し調査や支援を求めている国では所在が分かる場合は返還のために実地調査を実施するが、長生炭鉱では遺骨が海底にあるため対象外。国は見える遺骨しか調査しないというのだ。長生炭鉱の場合は海底から47mより浅いところを掘るのは法律で禁止されている。しかし最深で37mで違法な操業を続いていた。逃亡は度々、起こった。炭鉱で働く朝鮮半島出身者の割合は全国平均で15%。しかし危険とされた長生炭鉱は8割を越え4ケタの番号で管理されていた。韓国から毎年のように犠牲者の遺族が訪れる。ピーヤから捜索したこともあったが濁って何も見えなかった。行政に対し調査や支援を求めているが月日だけが流れている。今も韓国からの訪問は耐えない。犠牲者の子ども世代は年を重ねた。

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大邱広域市などからかつて多くの人が日本にわたり労働力とされた。山間の村からは7人が長生炭鉱で働きに出ていたが全員が水没事故で犠牲となった。キムさん兄弟は事故で叔父を亡くした。その事実を知ったのは事故から半世紀後の1991年、市民団体が遺族に出した手紙。韓国遺族会が発足した。2024年7月、遺骨収集に向けた潜水調査を27年ぶりに実施することにした。前回は岸に近いピーヤだったが、今回は沖のピーヤから潜水し遺骨があるとされる本坑道まで辿り着けるかを調べる。27年前は濁って何も見えなかったが、今回は視界50cm。潜り始めて5分、行止ってしまった。2024年9月、遺骨収集は新たな段階に。本坑道を見つけるため掘削工事に着手した。掘り進めるとコンクリート片がいくつも出てきた。大量の水が出てくると抗口と見られるものが姿を表した。だが一般的な抗口とは違った。長生炭鉱の抗口の写真はなく本物か確信がない。

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掘削工事で出てきたコンクリート片。これが入口の部分だった。抗口と見られるのは高さ1.6m,幅2.2m。長生炭鉱の水没事故の犠牲者の3割は日本人。父を事故で亡くした常西さん。しったのは3年前、名簿をみたときだった。

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2024年10月、関係者が見守る中、抗口から潜水。まず安全なのか、どの程度もぐれるのかを調査。視界は沖のピーヤと同じく50cm。15度の角度で下っていく。坑道内の壁などは触る限りしっかりしていた。潜水を始めて40分、ダイバーが無事戻っていた。遺骨の収集が現実味を帯びてきた。この直後、国は現時点での調査の実施や民間への協力は考えていないと発表した。市民団体は坑道が空いたことを記念に遺族を招き追悼式を開くことにした。韓国から14人の遺族が式典に参加した。市民団体は遺骨を一片でも探し出し遺族の元へ返せるよう努力を続けていく。

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(エンディング)
次回予告

次回予告。

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