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「うな海老天丼丼」 のテレビ露出情報

東京にいる者誰もが名前を聞いたことがある蕎麦屋といえば名代 富士そば。1966年渋谷に1号店を開店。当時の店の名前は落語の演目にちなみ、「そば清」だったという。1972年に富士そばに改名し、現在は都心を中心に100店舗以上ある。店舗ごとのオリジナルメニューもある。今回紹介する蕎麦食堂 いけちは今年4月に開店したばかりの店。この店は元富士そばの店長
2人が作った店。店は都営三田線板橋区役所前から徒歩2分の所中山道と山手通りが合流する当たりにある。富士そばを思わせる豊富なメニューが特徴。麺は5割蕎麦を使用し、茹でたてを提供。つゆは昆布と鰹節で取った出汁に三温糖を使ったかえしを合わせたまろやかなもの。天ぷらは揚げたて。店の主は兄妹で兄は39歳。妹は35歳。2人は蕎麦に出会うまでは水と油の仲だったという。そこには兄妹の物語があった。
日本がバブルに浮かれ始めた昭和の終わり頃、兄妹は東京に生まれ東京で育つ。幼い頃は兄・晃久が遊びに行こうものなら、妹・恵も一緒に行くほどの仲の良さだった。ところが、思春期を迎え中学~高校と進むにつれ、兄は友達とつるむことが多くなり、妹は部活のサッカーに明け暮れる日々。二十歳を過ぎるとほぼ会話はなく、1つ屋根の下にただすれ違うだけの2人がいた。時は流れ、2016年、兄31歳、妹27歳の時に転機が訪れる。富士そば高田馬場店店長の妹と渋谷明治通り店アルバイトの兄が誕生。慣れない仕事に悪戦苦闘する兄だったが、やがて富士そばの仕事が楽しくなり、約2年後には店長に昇格。1つ屋根の下に2人の店長がいる生活となった。店長の仕事は朝はやく始まり、昼3時には終わる。そのため仕事終わりに2人で飲みに行くことが増えた2人。兄妹のため、遠慮はなく、ぶつかり合うことも増えたが、富士そばが好きだという思いは共通していた。兄妹で切磋琢磨した結果、兄も1人前の店長になり、妹は繁盛店の店長を歴任。
ところが2020年、世界中の人々の足を止めてしまう出来事が起きる。それがコロナ。忙しかった富士そばも客足がまばらになり、時短営業の日々となった。店のことだけ考えてきた店長2人に考える時間ができた。兄妹揃って仕事仲間と行ったカラオケで妹・恵はある決断をする。それが2022年冬のこと。兄と一緒に蕎麦の店を出したいと考えた。そして富士そばを辞めて自分たちで新しい店を経営することを決意。上司の相談するとGOサインを出した上で2人の門出を応援してくれた。店を出す場所は富士そばの店舗がない、板橋区役所前駅近くに決定。店の名前は兄の子どもの頃のあだ名で名字をもじった「いけち」となった。2023年4月に蕎麦食堂 いけちが開店。富士そばの社長も駆けつけた。さらに母も加わりパワーアップ。蕎麦食堂とつけたのには理由があった。それは母のレシピも出せたらいいというものだった。蕎麦食堂いけちには兄妹のこだわりがつまった蕎麦、富士そば直伝のメニュー、母の手料理がある。この兄妹にしか作れない世界に1つだけの店となっていた。

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