TVでた蔵トップ>> キーワード

「やまなみ共同作業所」 のテレビ露出情報

小説家・真山仁が滋賀・甲賀市の障害者自立支援施設「社会福祉法人やまなみ会やまなみ工房」へ。本日の開拓者は山下完和施設長。毎朝の日課は利用者を迎えること。やまなみ工房には知的障がい者など93人が通所している。最大の特徴は、利用者の9割が創作活動をしていること。施設内には独特の世界観の作品が並ぶ。利用者の作品を紹介。神山美智子さんは微細な絵を描くことを得意としており、過去に制作したのは0.3ミリのボールペンで人の絵を描き、それらが集まって絵となっている作品。1枚の絵は半年~1年かかるという。吉田ひよりさんは紙の筒に絵の具をつけ転がすことで色鮮やかな作品を作成する。吉川秀昭さんの作品のタイトルは全て「目目鼻口」。吉川さんの作品はフランスなどでは15〜20万円で売買されている。ほかにも海外で高い評価を受けている作家がいる。米国で開かれた絵巻物のような作品の展覧会は「ニューヨークタイムズ」が特集、数百万円で販売された作品もある。
小説家・真山仁が障害者自立支援施設「社会福祉法人やまなみ会 やまなみ工房」施設長・山下完和にインタビュー。続けるにはお金が必要だが売り上げ目標など一切持たずに来たが自然にお金が付いてきたと話す。描いている人を知ってほしい思いでやってきたが、色んな人から「洋服にしたら」「展覧会に出してみないか」などの話をもらうようになったという。豪華な作業所だが国の補助金の範囲内でやっており、施設の利益を増やして建築物を整備しているわけではない、お金の使い方だと話す。仕事を作り出すための機材や資材よりも場所を提供しているという。やまなみ工房では、作品の収益は全て作家に支払っている。最近では年収数百万円の作家もいるという。障がい者がお金を得ることで「両親の我が子に対する意識は大きく変化する。評価を受けて1人のアーティストとして報酬を受けることについては想像以上に喜びに繋がっている」と話す。一番良いのは好きなことをしながら保障・対価を受けられることだという。
山下は学生時代はバンド活動に力を入れ、高校卒業後は定職に就かず。22歳で父が運営する障がい者支援施設「やまなみ共同作業所」へ。自分がしたいこと、居場所を見つけることができなかったと話す。障がいのある人の社会福祉には関心を抱いたことはなかったという。当時のやまなみ共同作業所は一般的な障がい施設だった。主に下請け作業で障がい者に安定収入を与えていた。山下の転機となったのは三井啓吾さんとの出会い。下請け作業をしていた時に三井さんが笑顔で落書きしていたのを見て作業を全部やめたという。これを機に、利用者が好きな絵や美術品を作りながら過ごす施設づくりを始め、2008年に社会福祉施設「やまなみ工房」を設立、施設長に就任した。
山下は工賃や収入を一切考えないようにしたが、親や養護学校の先生、当時のスタッフは大反対だった。山下が利用者らと出会った時には「できないことができるように」と思ったが自分にもできないことはいっぱいある。自分には車の運転、プロデュースはできる。彼らのできないことを僕がして僕ができないこと(絵を描く、作るなど)を彼らにしてもらおうと考えたという。「普通になりましょう」は実は普通ではなくて苦痛を与えている。下請け作業をしている時は不良品を作り出す天才ばかりだったが、今の彼らの表現には不良品は一切ないと話す。
「やまなみ工房」は世界から賞賛される作家を生み出し、一目置かれる存在となった。障がい者との共生への大きな壁は「差別意識」。やまなみ工房では生き生きとありのままの自分で過ごせるが街のショッピングモールではジロジロ見られたりする。1人の人として対等になっていく過ごせる場所が増えていくことが大事などと話した。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.