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「アナナ」 のテレビ露出情報

第二次世界大戦で激戦地だった硫黄島は、かつて玉砕の島と呼ばれた。アメリカ軍との激闘は書籍や映画の題材にもなった。戦前の硫黄島には豊かで成熟した文化が存在していたことはほとんど知られていない。平均気温は約24度で、南国フルーツや漁業、畜産も盛んだった。人口は約1200人で、サトウキビなどの栽培をしていた。戦時下、軍属として島に残された一部の男性以外、ほとんどの島民が日本各地へ疎開を余儀なくされた。硫黄島は、戦後はアメリカ軍・現在は島の大半を自衛隊が管理していて訓練の場として使われている。島民はいまでも故郷を自由に行き来することができない。1965年、東京都は硫黄島墓参事業を始めた。現在1年に3回の機会がある。2002年小笠原村は、硫黄島内に宿泊施設を整備した。かつて家があった場所を自由に訪ね歩く里帰りは実現しなかった。硫黄島は活火山のひとつで年々地面が隆起し続けている。2016年を最後に大型船を伴う上陸は中止し、現在墓参事業は自衛隊の輸送機に頼っている。年3回の墓参事業も2020年2月から実現していなかった。
今年に入り、2月に東京都主催の日帰り墓参、先月には小笠原村主催の日帰り墓参が再開した。ガジュマルの群生地を抜けると、戦前の硫黄島の生活のあと。小笠原村と自衛隊が協力し、島民1世に見てもらうために森を切り開いた。ガジュマルの木は精霊が宿ると言われて、島民1世にとって古き思い出の象徴。サトウキビの圧搾機もあった。硫黄島は、戦後78年経っても不発弾の危険性などでいまだ手つかずの自然が多く残っている。不明だった小学校跡地も今回の墓参前に分かった。今回の墓参事業再会を主導した小笠原村村長も手応えを感じている。日帰り墓参は正午過ぎから始まり、8箇所を約4時間かけてバスで巡る。1箇所辺りの滞在時間は10分から30分。参加した島民1世はわずか3人でいずれも80代。日帰り墓参に参加したくとも体力的に難しいのが実情だ。

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