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「アヴィニョンの娘たち」 のテレビ露出情報

大日本植物志は縦48センチ、横30センチの40Pの植物図鑑。今から123年前に作られた。表紙をめくると、最初に描かれていたのはヤマザクラ。日本固有の桜でその植物の描写は細やかな線で描写している。葉の輪郭は荒々しく枝の曲がり合いや無数の粒まで、ヤマザクラの生命を紙の上にそのまま写し取ったよう。大日本植物志には日本が誇る10種類の植物が15枚の絵となって描かれている。アズマシロカネソウはまるで人の臓器を描いたような生々しさがあり、複雑な根っこの部分はきめ細かく丁寧な描写で伸びる茎と先端について葉の葉脈1本1本まで表現される。チェルメルソウは大きさ1センチ足らずの花を様々な角度からとらえ、その特徴である、葉の周りに生えた細かい毛まで描ききっている。伊豆諸島に分布するサクユリは伊豆諸島に分布するサクユリは花弁が反り返るほど開く大輪の花でその曲線からは、匂い立つほどの妖艶な魅力が伝わる。作者はこの図鑑を精密に描くことにこだわったという。
大日本植物志を作ったのは日本の植物分類学の父の牧野富太郎。生涯を植物の研究に捧げた。牧野は江戸時代の終わり頃に現在の高知県で生まれた。授業に満足できず小学校を2年で中退。大好きな植物は独学で勉強した。植物の絵は子どもの頃から描いていたという。22歳で本格的に植物を学ぶために上京し、東京大学の植物学の教授に直談判。年下の学生に混じって東京大学植物学教室への出入りを許された。牧野は植物を深く知るため、正確に描くために莫大な借金をして高価な本を沢山購入した。31歳で、現在の東大理学部の助手に。牧野は世界に誇れる日本の植物図鑑を作りたいと考えた。それから11年もの月日を費やし、全身全霊をかけて描いたのが大日本植物志。牧野富太郎が植物を描くことにいかに注いでいたのかが分かる場所がある。東京・練馬区の練馬区立牧野記念庭園は94歳で亡くなるまで仕事をしていた書斎が残っていた。またひ孫の牧野一浡さんは、牧野富太郎とともに暮らしていた10歳まで熱心な仕事ぶりを見ていたという。絵を描くのに使っていた道具も特別で、ある変わった動物の毛で作られているがそれはクマネズミの毛で作られた。細い線を引くのにそれが良かったという。また、顕微鏡を使い、緻密な植物画を描いていた。大日本植物志の植物画には、美しさにつながる特徴がある。それは、中心に植物の全体図を描き周辺に花びらや雌しべや雄しべなどのディテールを配置している。この特徴こそが牧野の絵をアートたらしめる所以だと考えている人がいる。
マルチクリエーターのいとうせいこうさんは植物好きであり、牧野富太郎通でもある。いとうさんは大日本植物志の美しさを図鑑ならではの描き方でピカソのように描いていると語る。ピカソのようだというがアートに革命をおこした天才のピカソはアヴィニョンの娘たちを描いたが5人の女性が不可思議なフォルムで描かれる。正面と横からみた顔を一つにしてしまうなど多面体のような肉体もあらゆる視点から見た姿を一つに描いたらどうなのかという実験でキュビズムと呼ばれる。植物を全体像だけでなく、おしべ、めしべの拡大図や茎の断面図など様々な視点でとらえた牧野の絵。キュビズムの表現によく似ている。牧野はさらに斬新な手法を駆使していた。それが2枚目に描かれたヤマザクラ。実がなっている状態とそのあとのタネの状態を描き、生まれたばかりの蕾まで。本来違う時間軸の植物を一枚の絵として描いている。そして牧野の絵には世界に認められた植物画の画家ですら考えが及ばない手法が秘められていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月28日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
東郷青児は1897年鹿児島市に生まれ竹久夢二の絵草紙店に通い竹久夢二の元妻に気に入られ美人画の描き方を教わった。19歳のときに二科展に出品し二科賞を受賞した。23歳で結婚し24歳のときパリに留学した。7年後帰国するも妻との関係が冷え切った。そこで出会ったのが盈子で2人は心中未遂事件を起こした。事件から10年後に入籍し美人画を描き始め絶大な人気を得た。

2023年12月9日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
19世紀のパリでは美術界が大きく揺れ動いていた。それは写真の登場でそれまでに見たままのを描いても写真に勝てない。画家たちは写真を超える新しい表現方法を求めた。移ろう自然や光の一瞬をキャンパスの一瞬に捉えようとした印象派や、強烈な色彩とフォルムで心象風景を突きつけたポスト印象が登場。そして20世紀初頭のパリで注目され始めたのはスペイン人画家のパブロ・ピカソ。そ[…続きを読む]

2023年11月27日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
19世紀末、既に芸術の都として揺るぎない地位を誇っていたパリ。街の中心には1889年に建てられたエッフェル塔が聳え、通りには着飾った姿の貴婦人たちが歩く。「ベル・エポック」、美しき時代と呼ばれたこの頃、若き画家がスペインからパリにやってきた。当時19歳のパブロ・ピカソである。伝統と革新が共存するパリに夢中になったピカソは、この地でスケッチに明け暮れる日々を過[…続きを読む]

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