今回沖縄発スターの第1号かもしれない人物を調査することになりました。那覇市に住む金城仁さんの伯母・塩浜菊子は大正12年生まれ。戦前本州に渡り芸能の世界で活躍したという。仁さんの母で菊子の妹にあたる幸子さん。姉との年の差は16歳。菊子の芸名は藤島あけみ。「ミリアンショウ」という映画の幕あいにショーをするグループに所属していた。日中戦争のさなか映画からは娯楽色が消え外国映画も制限される中で誕生した華のあるグループは全国の映画館から引っ張りだこでした。菊子の妹の香代子さんによると男子学生が映画館を二重三重にぐるりと取り囲むほどの人気だったという。菊子はハイカラなアコーディオンの担当でひときわ目立っていました。当時沖縄の公演を見た宮城鷹夫さんは「憧れでしたよ。藤島さんはいわゆるうちなーんちゅ(沖縄の人)ということで誇らしく思ったものですよ」と話した。台湾公演の写真には「ミリアンショウ 日本に二つとない美少女チーム」との文字。当時日本の統治下だった台湾や朝鮮半島でも公演し人気を博した。国立映画アーカイブに「スヰング ミリアンショウ」のフィルムの複製があった。舞台には英語でミリオンの単語。これがミリアンの由来でした。映像には菊子らしき女性が映っていた。戦前、沖縄発アイドルの先駆けとなった菊子だが公演で各地を回るうち結核に感染し21歳の若さで死去。短い生涯でしたが鮮烈な輝きを放ち戦時下の世を照らしたのです。