1997年4月30日、南アフリカ・ケープタウンにある病院で事件が発生。女性が赤ちゃんを出産したが、赤ちゃんが誘拐された。看護師になりすました何者かが誘拐したと考えられた。マスコミも大々的に報道した。警察は容疑者の似顔絵を公開し世間に情報を募った。捜査を進めるなか、夫妻も娘を探し続けた。見つからないまま4年の月日が経った。夫婦に新たな生命が。そして二女が誕生し弟・妹も誕生した。子どもたちには誘拐された姉がいることを伝えていた。毎年、娘の誕生日会を開いた。ギクシャクすることも多くなり離婚してしまった。二女が高校に入学したことをきっかけに運命の歯車が動き出す。二女は新しい環境になじむことができた。というのも4歳上の先輩と仲良くなった。2人は周囲から似ていると言われるように。父親は誕生日を聞き「1997年4月30日」と答えた。それは17年前、娘が誘拐された日だった。捜査チームは先輩・ミシェの母の元へ。すると自分が実の母親と譲らず誘拐も否定した。そこで警察はDNA鑑定を行った。結果は99.96%、夫妻との血縁関係を示した。誘拐された娘は数キロ離れた場所で暮らしていた。親子の再会をマスコミは大々的に報道した。警察は誘拐した女を逮捕し、娘は拾の家族の元へ。一件落着と思いきや話は一筋縄ではいかないではいかなかった。娘の心は拾の家族から離れ育ての父の元へ帰ってしまった。その中、誘拐罪の裁判が始まった。女は流産したが夫に9ヶ月も隠し続けた。子どもが欲しい女は病院に忍び込み誘拐したという。有罪判決で懲役10年が言い渡された。娘は生みの親のもとに返されることとなった。だがこの判決は国民の意見を2分する大論争を巻き起こした。娘は生みの親ではなく育ての親を選んだ。その後、娘は世間を騒がし続け回顧録を出版し生みの親への不満をぶちまけた。