谷村新司さんが晩年に尽力してきたのが若い世代との交流。大原櫻子はデビュー2年目のFNS歌謡祭で「冬の稲妻」で共演したとき、緊張する大原の背中に谷村さんがそっと手を当てて「大丈夫だよ!」と言ってくださったという。また三浦祐太朗は2人で食事をした際に「国境を越えて愛される歌手になりなさい」と言われたとのこと。谷村さんは中国の音楽の発展にも力を入れていた。上海音楽学院初の外国人教授になった。谷村さんの授業をサポートした教授によると谷村さんは「教師と学生を分けず、年齢差も感じさせない友達のようにみんなで一緒に音楽を作っていた」「授業では生活と音楽を愛し、勇敢に創作や歌に挑戦することを伝えたいた」とのこと。また大学時代から50年以上親交がある谷村さん行きつけの喫茶店で話を聞くと「言語が通じなくても音楽は通じる。外国人でもギター1本あれば怖くない」「人様に教えるほどの教養はない。音楽によって通じ合える糸みたいなものをいつも感じる」と話していたそうだ。