肺がんで余命わずかと宣告されての退院をした健一さん。次男と一緒に夫婦で旅行へ出かける。健一さんの夢は故郷を訪ねることで、食事などもして元気そうな様子を見せるが鎮痛剤など15種類の薬を服用している。この旅行には医師の伊藤玲哉さんも同行している。伊藤玲哉先生はかつえは総合診療を受け持つ勤務医だったが2020年に難病などに苦しむ人達の願いを叶える旅行会社「トラベルドクター」を設立。今回は岩手で過ごす2泊3日の旅に同行で、医師がいないとできない帰郷となっていた。健一さんは学校卒業後故郷を離れ左官職人として働き、3人の子どもにも恵まれた。
健一さんの地元に到着。誰よりも会いたかったのが一番上の姉で、早くに親を亡くした健一さんにとって母親のような存在。健一さんは一番末っ子で姉たちには可愛がられたという。その後実家へと向かい手を合わせたりした。この日はホテルで親族一同で宴会を実施する。伊藤先生は健一さんの隊長を確認しつつ薬のアドバイスをする。また旅の演出も行っており車椅子も用意はしているが歩いておうちに入られる方がその人のあり方を感じたのでそこは尊重したいと話した。宴会場には多くの親戚が集まり、ごちそうも並んだ。
この日は妻の陽子さんの気持ちを汲んで伊藤先生が運転。ここからは家族ために用意したひとときを過ごしてもらう。息子たちとお風呂に入ったりした。健一さんは子どもたちもそうだけど一番はうちの母さんが大変だったねなどと病気になって分かったこととして述べた。スタッフが後ほど陽子さんに伝えると直接行って欲しいが言えないんですよねなど話した。また言いたいことは言っておきなさいというけど面と向かっては中々言えないと話した。翌日には夫婦をバラ園へ、伊藤先生が助言して互いに感謝の言葉を述べた。
トラベルドクターでは伊藤先生に加え医学療法士がスタッフとして常駐し、看護師などと連携することもあり、特別チームを組むことも少なくはない。事業は赤字続きで自分の給料は4年間で一度も出せていない。少しでも赤字を補填するため麻酔科医とも働いている。トラベルドクターへの依頼は様々あり3年前脊髄を損傷したはじめさんは首から下の自由を失い、自律神経にも後遺症を残した。新潟で働いていたペンションを訪ねることがはじめさんの依頼。行動範囲を広げる挑戦でもある。特別仕様の電動車いすはそれだけで100kg以上の重さがあり、事前に入念な下調べを行い過剰な手助けを控える方針。地下の食堂は急な階段を降りる必要があり、伊藤先生はペンションと相談し移動方法などを考える。はじめさんと車椅子を分けて運び、食堂で食事をした。
トラベルドクターの立ち上げは伊藤先生に取って大きな冒険だった。やりたいと言ったときは周りはどういうこと?という反応だったという。伊藤先生は明治から3代続く医師の家の生まれだが、4代目の伊藤さんは家業を継がず自分がやりたい医療をやると道を進んだ。父親は現在も現役の医者で あるが最近心臓の手術を行ったという。
健一さんの地元に到着。誰よりも会いたかったのが一番上の姉で、早くに親を亡くした健一さんにとって母親のような存在。健一さんは一番末っ子で姉たちには可愛がられたという。その後実家へと向かい手を合わせたりした。この日はホテルで親族一同で宴会を実施する。伊藤先生は健一さんの隊長を確認しつつ薬のアドバイスをする。また旅の演出も行っており車椅子も用意はしているが歩いておうちに入られる方がその人のあり方を感じたのでそこは尊重したいと話した。宴会場には多くの親戚が集まり、ごちそうも並んだ。
この日は妻の陽子さんの気持ちを汲んで伊藤先生が運転。ここからは家族ために用意したひとときを過ごしてもらう。息子たちとお風呂に入ったりした。健一さんは子どもたちもそうだけど一番はうちの母さんが大変だったねなどと病気になって分かったこととして述べた。スタッフが後ほど陽子さんに伝えると直接行って欲しいが言えないんですよねなど話した。また言いたいことは言っておきなさいというけど面と向かっては中々言えないと話した。翌日には夫婦をバラ園へ、伊藤先生が助言して互いに感謝の言葉を述べた。
トラベルドクターでは伊藤先生に加え医学療法士がスタッフとして常駐し、看護師などと連携することもあり、特別チームを組むことも少なくはない。事業は赤字続きで自分の給料は4年間で一度も出せていない。少しでも赤字を補填するため麻酔科医とも働いている。トラベルドクターへの依頼は様々あり3年前脊髄を損傷したはじめさんは首から下の自由を失い、自律神経にも後遺症を残した。新潟で働いていたペンションを訪ねることがはじめさんの依頼。行動範囲を広げる挑戦でもある。特別仕様の電動車いすはそれだけで100kg以上の重さがあり、事前に入念な下調べを行い過剰な手助けを控える方針。地下の食堂は急な階段を降りる必要があり、伊藤先生はペンションと相談し移動方法などを考える。はじめさんと車椅子を分けて運び、食堂で食事をした。
トラベルドクターの立ち上げは伊藤先生に取って大きな冒険だった。やりたいと言ったときは周りはどういうこと?という反応だったという。伊藤先生は明治から3代続く医師の家の生まれだが、4代目の伊藤さんは家業を継がず自分がやりたい医療をやると道を進んだ。父親は現在も現役の医者で あるが最近心臓の手術を行ったという。