日本は戦線拡大の方針を見直し、本土を防衛するため絶対に確保すべき範囲に戦力を集中することにした。これによって国防圏の範囲外とされた島々は孤立し、連合国軍の攻撃にさらされることになった。その一つ、ブーゲンビル島にいた赤羽恒男は所属する設営隊を帰国させると伝えられた。ジャングルを抜け180キロ先にある輸送船との合流地点にたどり着くも、輸送船は来ないままだった。部隊の幹部は密かに脱出し、赤羽たちはジャングルに取り残された。多くの人たちが飢えと疫病で命を失った。一方新聞は相次ぐ玉砕を美談として報じ、人々の戦意を煽り続けた。弟が予科練に志願した教師、佐藤禮子は「一機でも多く飛行機を送ることができたら」などと戦争協力の決意を新たにしていた。