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「プロフェッショナル 仕事の流儀」 のテレビ露出情報

柳家小三治さんは平成26年に人間国宝に認知された。小三治さん昭和14年の東京・新宿生まれで父親は小学校の先生で勉強やしつけに厳しい人だったという。その反動から高校では人を笑わせる落語に熱中し、素人が出演するラジオ番組で15週連続で勝ち抜くほどの腕前だった。両親の反対を押し切って後の人間国宝の柳家小さんに弟子入りした。どう話せば笑いが取れるか、徹底的に研究し学べる場所ならどこにでも駆けつけたという。高座にあがるようになると小三治さんの落語はたちまち評判となった。しかし師匠からはお前の噺は面白くないと言われたという。そして10代目柳家小三治を襲名した。番組のお好み演芸会では大喜利コーナーの司会をつとめた。そんな時昭和の大名人の古今亭志ん生の言葉が入ったという。落語を面白くするには面白くしようとしないことと言われたという。小三治さんはその言葉に困ってしまったという。
自分の生真面目な性格に苦しんだ小三治さんは面白く話そうとするのではなく、素直に自分を出そうと決心した。40代になり思いリウマチを患ったがそれさえも自分の落語につながっている。落語ではまくらが評判でまくらの小三治とも言われる様になった。平成26年には長年の努力が実り人間国宝になった。その後年間200日ほど高座に上がり続けている。しかし令和2年に新型コロナウイルスの影響で半年間公演ができなかった。久しぶりの口座に心が踊ったという。

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