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「ヤムヤム」 のテレビ露出情報

飯尾和樹が紹介するのは「群雄割拠!ロケ弁史」。ロケ弁はテレビ・映画のロケやスタジオ収録で出演者やスタッフに用意される仕出し弁当のこと。東京近郊のロケ弁店は約520軒もある。日本初のロケ弁は何なのか?1953年2月1日にテレビ放送が開始。1850年創業の日本橋弁松総本店を直撃したがテレビ業界への進出がいつなのかは不明だという。次に1954年誕生の崎陽軒を直撃したがこちらもテレビ業界の進出時期は不明。芸歴75年の毒蝮三太夫に1950年代のロケ弁について聞いてみる。当時は自腹で近くの食堂に行くのが主流だったという。1960年代に「ウルトラマン」に出演した毒蝮三太夫は最悪のロケ弁に出会ったという。ちくわが3本のロケ弁で撮影スタジオ前の食堂で作っていたという。「笑点」出演時、桂歌丸は崎陽軒のシウマイ弁当をよく食べていたという。ロケ弁史の始まりはちくわ弁当かシウマイ弁当が有力だと考えられる。
1970年代に入るとロケ弁史が変わる。1972年、カラーテレビ普及率が50%を突破した。当時高視聴率だった「8時だョ!全員集合」がきっかけ。番組スタッフが配達車を見かけて弁当を発注。その美味しさにドリフターズが驚愕したという。そのロケ弁は津多屋の「のり2段幕の内弁当」。テリー伊藤によると津多屋からロケ弁が変わっていったという。さらに、この時代小さな大巨人が誕生。宝塚劇場に出演していた女優が依頼したことがきっかけでロケ弁界に進出してきたのが、まい泉の「ヒレかつサンド」。80年代、テレビはアイドル全盛期。1958年デパ地下の惣菜コーナーで販売されていた弁当を日本テレビのスタッフがロケ弁として注文。それが喜山飯店の「4種弁当」。1987年、テレビ局に潜入して営業をした結果、ビートたけしの番組からロケ弁界に進出したのが欧風カレーのオーベルジーヌ。ジャガイモがまるっと1個添えてあるのはカレーの後の口直しだという。1990年代は潤沢な制作費があったバブル期。ロケ弁界にもバブルなロケ弁が到来。つきじ宮川本廛のうなぎ弁当や花蝶のステーキと蟹ごはん 重ね弁当など。
バブル崩壊後は質と個性を重視するなロケ弁が登場。浅草今半のすき焼き弁当、アホウドリの丸わっぱ弁当などが新たに登場。2019年、オーベルジーヌはフジテレビの27時間テレビで1100食を納品。2021年津多屋は「輝く!日本レコード大賞」に1600食を納品。ロケ弁史を研究する中で幻のロケ弁を発見した。喜山飯店の「豚の角煮弁当」。6週に一度だけ出しているという。金兵衛の「ピーマンの肉詰め弁当」は仕込み・労力が6倍かかるという。SMAP×SMAPだけは配達していたという。
全国各地のロケ弁も群雄割拠。大阪では。ハイヒールリンゴによると、1980年代にはロケ弁はなかったという。現在まで力を持ち続ける二大勢力は馳走庵 いろはとお米のやました。いつでも届けてくれる、演者の好みに合わせてくれるという融通のきくロケ弁が大阪では強い。名古屋ではロケ弁二大勢力がある。千寿の天むすとコンパルのサンドイッチ。この2つに共通するのはエビ。北海道のロケ弁は郷土料理が食べられる布袋、ヤムヤム、セイコーマートの三つ巴。布袋とヤムヤムで人気はザンギ弁当。セイコーマートでは温かいカツ丼、カツカレーが人気。福岡のロケ弁は東京のタレントにご当地ロケ弁を用意する。3つのロケ弁が覇権争いをしている。東筑軒のかしわめし、船越英一郎が絶賛したというステーキハウス蜂のハンバーグ弁当、デリスタののり弁。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年6月15日放送 21:15 - 22:09 フジテレビ
私のバカせまい史(私のバカせまい史)
全国の有名ロケ弁を集結させた最強のロケ弁を作った。名付けてワールド・ベントウ・クラシック飯尾ジャパン、WBC弁当。ポパイ、オーベルジーヌ、喜山飯店などの名物を詰めて作った。バカリズムに欲しかったという津多屋のオリジナルエコバッグをプレゼントした。

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