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「下関地区(新潟)」 のテレビ露出情報

伊藤蘭は昭和三十年生まれ。伊藤蘭の父の伊藤英邦の家系のルーツは新潟県の下関地区にあるという。そこで下関地区で伊藤蘭の遠縁の伊藤三五郎さんなどに伊藤家のルーツについて話を聞いた。伊藤家では江戸時代の初期から半十郎という名前を受け継いできたという。伊藤蘭の曽祖父の伊藤貞次は若い頃は苦労していたが、早稲田大学で法律を学んだ後はキャリア官僚になり内務省で勤務したという。そんな伊藤貞次の長男が伊藤蘭の祖父の伊藤太郎だ。伊藤太郎は無職だったが結婚して伊藤蘭の父の伊藤英邦が大正11年に生まれた。子供が生まれてから伊藤太郎は公務員として働くようになったという。一方で伊藤貞次は満州で不動産業をやってビルを建てて、都内に大邸宅を建てたという。
伊藤太郎は市役所を辞めてしまい油絵に没頭するようになったという。そんな太郎から英邦は絵の手ほどきをうけて育ったという。ただ伊藤英邦は理系で当時最先端の技術を研究するようになったという。スタジオでは伊藤蘭が「知らないことがわかった」と感想を語った。
伊藤蘭の母親の伊藤八重のルーツは新潟県新発田市だという。伊藤蘭の祖父の内山柏平は洋裁の技術を身に着けて、函館市でテーラーを開業したという。そして明治41年にトサと結婚して、子宝に恵まれたという。その中に伊藤蘭の母の八重も含まれていた。八重は洋裁学校に入学したが、まもなく太平洋戦争が勃発し、終戦後は洋裁学校の講師として働くようになった。そうした中で伊藤英邦と社交ダンスで出会ったという。スタジオでは今田耕司が「おしゃれな出会いですね」と感想を語った。
伊藤英邦と伊藤八重は自宅を改造し、伊藤英邦はアクセサリーを作り、伊藤八重は洋裁をしていたという。伊藤英邦は最先端技術の研究をしていたが、戦争体験をして研究とは離別したという。そして昭和30年に伊藤蘭が誕生した。ただ伊藤太郎が死去したことで多額の相続税が生じ、伊藤英邦と伊藤八重はそれぞれ働いて家計を支えたという。
伊藤蘭は中学では演劇部に入部し、自分を表現する楽しさに目覚めたという。中学時代にはタレント養成学校に合格して入学したという。そしてキャンディーズを結成して人気になり、自宅までファンが押しかけるようになった。そして昭和52年に突然キャンディーズの解散を発表した。その後、伊藤蘭は俳優の道に進んだ。
島崎藤村の孫の島崎禄二は伊藤蘭の家に下宿していたことがあり、伊藤英邦の絵画などが島崎禄二との縁になったのかもしれないという。伊藤英邦は戦争の後遺症に苦しむ人と多く向き合っており、戦争経験したからこその使命感があったのではないかと伝えた。一方で八重は平成30年に96歳で亡くなったという。スタジオでは伊藤蘭が「前を向いて生きる元気をもらった」と感想を語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年1月26日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
ファミリーヒストリー(ファミリーヒストリー)
伊藤蘭は昭和三十年生まれ。伊藤蘭の父の伊藤英邦の家系のルーツは新潟県の下関地区にあるという。そこで下関地区で伊藤蘭の遠縁の伊藤三五郎さんなどに伊藤家のルーツについて話を聞いた。伊藤家では江戸時代の初期から半十郎という名前を受け継いできたという。伊藤蘭の曽祖父の伊藤貞次は若い頃は苦労していたが、早稲田大学で法律を学んだ後はキャリア官僚になり内務省で勤務したとい[…続きを読む]

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